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私の転機は・・・ 2002年モデル引退・2004年デザイナーデビュー
見えないところに凝るのが本当のおしゃれだと思う 小物がおしゃれのメインにできたら最高ですね!

サクセスインタビュー チャンスは自分でつかみ取るもの!

アクセサリーデザイナー 佐藤えつこさん
 
history アクセサリーデザイナー 佐藤えつこ(さとう・えつこ)
1978 東京豊島区に生まれる。10日後にアメリカへ。プレスクール(幼稚園)までシカゴボストン、NYで過ごす。
1984 一家で帰国。父の実家のある北海道羅臼へ。6才。
1986 小2〜小3の春に母の実家の近い東京・豊島区へ。
1992 プチセブンのモデルオーディションで専属モデルとなる。14才
1993 都立向丘高校入学。プチセブンで初めての表紙を飾る。
1996 高校卒業。
1998 20才プチセブン専属モデル卒業。CanCam専属モデルになる。宝石鑑定士学校へ通う。
2002 22才。モデル引退。通信教育でアクセサリーデザイナーの資格を取得。デザイナーの元で修行。
2004 25才。初めてのプライベートブランド「Bumble」を立ち上げる。渋谷109にshopオープン。
2005 urbanholics 入社。デザイナー、バイヤーの2つの仕事をこなす。
2006 27才。アクセサリー&小物ブランド「Clasky」を立ち上げる。


NYのプレスクールでの卒業式。
前列中央が佐藤えつこさん。

兄と描いたクリスマスツリー。
NYのアパートで。

お父さん、お兄さんと
NYのタイムズスクエアを散歩。

家族で行ったNYの
グッケンハイム美術館。

「レゴパークで遊んでいてえつこ失踪。5時間後、警察署で劇的父子対面」お父さんのメモから。失踪する前の状況を絵にした。
   
1994年、単独でプチセブンの表紙を飾る。
プチセブンの表紙。すっかり雑誌の顔になった。
CanCamモデル時代。ピンクの特集で。
CanCamのスタッフと撮影中に縛り合い。
 

モデル時代のお気に入りの1枚。

当時のプチセブン桶田編集長に
23才の誕生日を祝ってもらう。

これが私のきれいの秘密
<恋愛>

「恋愛をすること。やっぱり心のハリは必要です。いい恋愛をしているときはいい仕事ができますね」
<睡眠>

「ちょっと前までは朝まで飲んだりしてましたが、今は24時までには寝てしまいますね。年取った〜(笑い)。睡眠は3の倍数がいいと聞いたので、6時間か可能なら9時間」
<毎日心がけていること>

「常に他人の小物を気にするようにしている。人の性格は洋服よりも小物に表れるんじゃないかと思うので、それで他人の事を知ろうと思う。ときどきジロジロ見ちゃって感じ悪いですよね」
これが私のきれいの秘密
ティーン時代からトップモデルとして活躍した佐藤えつこさんは今、アクセサリーデザイナーとしてファッション界で認められる存在となっっています。彼女の作るアクセサリーや、ベルト、バッグなどのファッション小物は全国のセレクトショップで引く手あまた。モデルという華のある職業を捨ててまでもなったデザイナー。どんな数奇な運命をたどって今に行き着いたのかを語っていただきました。

アメリカに住んでいた幼少時代 帰国、そして北海道から東京へ

私が生まれた頃、家族はシカゴに住んでいました。父がINSTITUTE(大学院)でリトグラフの勉強をして、そのままアメリカで創作活動をしていたためです。父は日本画とリトグラフを組み合わせた世界で唯一の画家です。シカゴ、ボストン、NYと移り住んで、6才までアメリカで暮らしました。プレスクール(6才)卒業までいたので、英語を話していたはずなのですが、今は跡形も無くなってしまいました(笑)。

父の仕事の影響で、絵と深く繋がった幼少時代だったと思います。NYマンハッタンだけで50あると言われる有名美術館の8割に連れられて行きましたし、家の中では父、兄、私の3人が常に自由に絵を描いていました。

私が6才のときに日本へ引っ越しました。父の実家の北海道の羅臼で、小2の終わりまで生活しました。冬は流氷がやってきて、とにかく寒かった記憶があります。クマもキツネもいました。この頃は図工が得意で、コンクールではしばしば金賞を取っていました。

そして小3になるときに、東京・豊島区の母の実家の近くに越して来ました。このとき父が大失敗。私と兄がアメリカで受賞した ベスト・アーティスト賞≠フ賞状を駅に置き忘れて、無くしてしまったのです。その後、小中高ともう少し豊島区で過ごしました。中学校では一応美術部に所属していましたが、楽だから入ったようなものでほとんど帰宅部でした。でも美術の成績は良かったですよ。体育も(笑)。

というような日々を過ごしていた私に、最初の転機が訪れます。プチセブンの専属モデルになったのです。


最初はやる気のなかったプチセブン専属モデルに

プチセブンへの応募は友達が出しました。中2の終わりでした。私は全く興味が無く、プチセブンの存在すら知らなかった(失礼!)のです。「友達が一緒に出していい?」と言うからOKというやる気のなさでした。

だから、編集部から最初に連絡があったときはお断りをしたんです。しかし編集部の方から、「事務所に所属せず、フリーでもいいから、少しだけやってみよう」と説得されて、始めることになりました。ところが、撮影スケジュールが入り出すと整理仕切れなくなり、中3になる頃からモデル事務所にお世話になることになりました。

順調に撮影も入り、1年たった頃、編集長から「おめでとう」と声をかけられました。誕生日でもないのになんのことかと思っていたら、初めての表紙が決まったとのことでした。当時の私は、この日に撮影があるから行くというだけで、撮影の内容がなんなのか全く気にしていませんでした。だから表紙の撮影だということも雑誌ができて初めて知るという具合でした(笑)。

そんなこんなで14才から20才まで約6年間プチセブンでモデルをやりました。だから高校時代は撮影スケジュールに追われてあまり思い出がありません。

モデルとして名前が知れるようになってくるといろいろなことがありました。怖い先輩達に呼び出されたり、いたずら電話がかかってくることもよくありましたね。「調子にのってんじゃねえよ」から「ファンです。○○さんって知ってますよねえ」までいろいろ、大変でした(笑)。プチセブンにはティーン誌なのに20才まで専属で出させていただきました

その後短期間にいくつかのファッション誌に出て、プチセブンと同じなじみのある、小学館のCanCamの専属モデルになりました。CanCamでは約3年間お世話になり、幸せな結婚をしてママになった今もモデルを続けている中林美和さんや女優として大活躍中の長谷川京子さん、Oggiの表紙モデルの小泉里子さんたちと一緒に仕事をさせてもらいました。


モデルを辞めてデザイナー修行 そしてブランド立ち上げへ

3年間のCanCamモデル時代は決してハマってはいなかったと思います。CanCamの看板になるモデルにはキレイさが求められます。私は見ての通り個性派≠ネので(笑)、なかなか難しかったですね。

CanCamの専属を辞めた後、別のファッション誌の専属になるお話があったのですが、タイミングが合わず、話が流れました。
ずっと専属でやってきたので、本拠地となる雑誌がないならモデルを辞めようと決心しました。ここで踏ん張ればモデルとして続けることもできたかもしれません。しかし私は気持ちの整理をつけるのは早かったです。

その頃、私は通信でアクセサリーデザイナーの勉強をしていました。実は20才の頃に父の薦めで宝石鑑定の学校に通ったことがありました。

子供の頃から父は私の将来の職業は、芸術家か音楽家でなければならないという不思議な信念を持っていました。小中学生の頃はフルートを習わされました。知り合いの花屋さんへ、突然修行に出されたこともあります。「明日朝6時から○○に行くことになったから」みたいな感じで。だからこのときもジュエリーデザイナーになれということで学費を出してくれました。父は父なりに私の将来を考えてくれていたんだと思います。しかし鑑定士の勉強はあまりにも私にとって難しく、続きませんでしたが。

そしてモデルを辞めるとき、またしても父が登場します。私がアクセサリーデザインに興味があることを知ると、またしても父の知り合いのデザイナーさんのところに修行に出されました。時給500円からの勉強の日々でした。毎日ビーズに糸を通したり、黙々と手を動かしてました。それが面白くて仕方がなくすぐにハマってしまったのです。それで「もうモデルはやんなくてもいいや」という気持ちにスパッと切り替えられたのだと思います。


デザイナー修行が始まる またたくまにブランド立ち上げへ

先生の元で働き出して、最初に作らせていただいたアクセサリーがなんとセレクトショップの「アクアガール」に置かれることになったのです。嬉しかったです。なんとかやっていけるんじゃないかという自信もつきました。先生の元では約1年間修行をさせていただきましたが、「アクアガール」の他に「FREEE'S SHOP」などいくつかのセレクトショップで、次第に扱っていただけるようになりました。

しかし私の中ではもっと技術を磨きたい、彫金などの加工技術を、という欲が生まれました。それで先生の元を離れました。そのとき一緒にブランドを立ち上げようと言ってくれる人がいました。私は経験を積めるまたとない機会を生かそうと思いました。そうして2年前に私の最初のブランド「Bumble」を立ち上げました。渋谷109の中にshopもオープン。このときは何もかも初めての経験だったので、全てがバタバタでお店を回すだけで精一杯でしたね。

そして昨年、現在のurbanholics に所属、アクセサリーのデザインと並行してインポートの買い付けなどもやらせてもらいました。

その後約1年間コンセプトを温めて、この夏に私がデザイナー&コンセプターとして参加した、2つ目のブランド「Clasky」が誕生しました。

小物がおしゃれの中心になるような世の中にしたい

今はこの「Clasky」を広めたいです。百貨店やセレクトショップに広く扱われ、「Clasky」のshopバッグを持った人をたくさん見かけるようにしたい。そしていずれ表参道にonlyshopを持つようになりたい。これは夢ではなく当面の目標です。それができたら海外のセレクトショップに進出したいですね。LAや香港の。

個人的な夢としては、もっとアクセサリーを学びたいですね。今はデザインコンセプトを考えて職人さんに組み合わせてもらうことが多いですが、もう一度、学校に行って彫金などの技術を学び直して、自分が職人さんの技術を身につけたいです。自分が考えたコンセプトを細かいところまで自分の手で形にしてみたいです。

世の中に対する夢としては、小物がおしゃれの中心になるファッションを広めたいですね。洋服は毎日違うおしゃれをして、アクセサリーや時計は間に合わせのように同じものというのが、今のおしゃれの主流ですが、私はつまらないと思う。全身何千円の安い洋服でも、持ってるバッグだけはすごくいいものだったり、バッグの中に入っていて普段見えない小物がやたら可愛かったり、キーホルダーの裏地がきれいな色だったりと、本当のおしゃれって、見えないところに凝ることだと思う。

だから私は小物を大事にして欲しいと思う。そのうちに、小物メインのファッションショーをやってみたい。私がモデルのキャスティングやシチュエーションを考えて。それが成功したら、私を支えてくれた人たちの老後を幸せにしてあげたいな。

佐藤えつこがNEWブランド「Clasky」FAnetがどこよりも早くSCOOP!

ネックレスとブレスレット
遊び心のある大ぶりなネックレスとブレスレット。
<コンセプト>
CLASSとLUCKYを掛け合わせて「Clasky」。エレガント感を大切にし、遊び心のある大人のNewアクセサリースタイル「大人POP」の提案。携帯ストラップ/アクセサリーを中心にした小物雑貨ブランド。ターゲットは常にファッションに気を使い、特に小物をおしゃれのポイントにしている20〜30代の女性。
Claskyの中心アイテムの携帯ストラップ
Claskyの中心アイテムの携帯ストラップは¥2800〜。
urbanholics 表参道店
Claskyはここで買えます! urbanholics 表参道店
●DATA●
渋谷区神宮前4-12-10
同潤館DOUJUN WINGD101
TEL03・5785・2484
FAX03・5785・2485
営業時間11:00〜21:00 不定休
 
   
2006 5/23up 
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