「まだ出会えていない運命の人≠ヘ必ずこの世の中のどこかにいるはず」というデスティナ・ジャパンの小澤裕子社長。国境や人種を越えて運命の人≠探すことで自分に合う人に出会う確率を高める、という画期的なシステムを開発して成功しました。今では、日本、アメリカ、UK(イギリス)と、広い地域に幸せを配達している小澤さんに、起業するまでのお話をうかがいました。
弟が2人いますが年が離れており、すぐ下の弟が6才も違っていたので、幼稚園の頃まではひとりっ子のような感じで育ちました。小6ぐらいまでは、すごくシャイで、おとなしくて、自分の意見を率先して言うような子ではありませんでしたね。
それから父の転勤で京都に。京都ののんびりしたペースが私にはとても合っていて、居心地が良く、自分が出せるようになって活発になりました。とはいえ、10代の頃までは、のんびりしていて、特に打ち込めるものもなく、部活動でテニスを少しやったくらいでした。でも、20歳に近づくにつれて幅広く色々なものに興味をもちはじめ、挑戦していくようになりましたね。
大学時代は、バブルの時代でした。何かできることはないかといろいろなアルバイトもしました。カフェやスーパー、ブティックで働いたり、受付や役所の事務をやってみたり。職場では、オーナーや先輩にとてもかわいがっていただいたりしましたが、自分に合っている仕事とは思えず、情熱を持ってできるものはなかったです。でも、ひとつ発見したのは、人間が好きだということ。人と関わるような仕事をしていきたいと思うようになりました。
あるとき、アルバイトで知り合った友人と、何か違ったことをやろうと、資金を出し合って株式投資をしたんです。やり出すと楽しくて集中しましたね。毎日、新聞の経済欄を読んだり、周りの話を聞いて直感で気になる企業を見つけると、図書館に籠もってその企業に関するデータを集めて研究しました。直感がいつも上手く作用したおかげで成功し、よく海外旅行に行っていましたね。人生において、非常に勉強になりましたし、これが起業のきっかけにもなりました。
就職は、出身地の名古屋に戻ってしました。当時女性の総合職は同期100人のうち3〜5人という狭き門でした。それなりの学歴がある人だけ。あとの人は一般職で、ワープロで報告書を作ったり、コピーをとったり、お茶を出したりという毎日でした。
最初は、どうしたらコピーが早くとれるか、どうすれば人より早くきれいな報告書を作れるか、いろいろ努力をしましたが、1年も経つとルーティンの単純作業になってしまいました。他に何かできることはないかと思っても、それ以上の仕事は与えられませんでした。新しいものにチャレンジできる職場でもなかったし、クリエイティブな仕事でもなかったんです。
3年、5年先に入社した先輩を見ていても、みんな早く結婚して会社を辞めるんだという感じ。仕事をバリバリやっていくという女性はほとんどなく、会社は結婚するまでの腰掛けでしかありませんでしたね。
私も先輩たちと同じように、同じような仕事を5年続けて、5年経ったら辞めて結婚して主婦になっていくのかなと考えたときに、ゾッとしちゃんたんですね。
アシスタント的な仕事しかできない自分の能力を情けなく思い、キャリアアップのため何かできないだろうかと考えました。当時は、海外留学が流行りだし、誰もが留学できるような時代になっていました。それに英語ができるようになりたいというのもあって、海外に行こうと計画をたて始めました。
そして91年、ニューヨーク(NY)へ語学留学。実は、学生の時に行ったヨーロッパの古い街並みや歴史がとても好きで、ヨーロッパに行きたかったんですが、VISAの取得がとても厳しくて。しかも当時は、芸能人が競ってNYに行ったり住んだりしていた頃。みんなNYファッションに染まって真っ黒なスタイルで帰って来ているのを見て、私はそれがイヤで、NYだけは行くものかと思っていたんですよ。
でも、NYに住んでいた友人に、「NYを知らずにそんなことを言うのはよくない」と言われて、「わかった」という感じで行くことにしました。
ところが、行ってみると、ものすごく魅力的。カルチャーショックでした。「もうここしかない」という感じになって住み始め、勉強を開始しました。
実は、私には、小5の頃から「いつか自分で会社を創りたい」という夢があったんです。ただ学生時代は、同級生のほとんどの実家が自営業で、就職して安月給をもらうより、のんきに家事手伝いをしてお小遣いをもらい、海外旅行などを楽しんで、年収のいい旦那様を見つけた方がいいという友達が多かった。「私は会社をやりたい」なんていうと言うと浮いちゃう感じでしたから、夢のことを口に出すのはやめていたんです。
それがNYに来て爆発しました。ここで何か夢を叶えたい、と思い始めたんです。
最初は英語も話せなかったのですが、街や人の熱気を肌で感じました。NYって、街自体がものすごいパワーを持っていて、競争社会の中で皆が上を目指し、目標を持って頑張っている人たちが多いんだなと実感しました。
最初の1年間は、勉強をしながら、いろいろな人とのネットワークを作ることに努力しました。パーティに参加したり、いろいろな場所に顔を出して…怖いもの知らずですよね。「この人たちは何に興味があって、どんな生活を送っているのか」と、とにかく知りたかったんです。
そして多くの知り合いができました。「起業をしたいんだったら、友達がそういうセミナーをやってるから、参加しないか」と誘ってくれる人もでき、いろいろなセミナーに参加するようになりました。そこからですね、真剣にビジネスプランを考え出したのは。
こうして知り合った人達の多くは、熱意をもってものすごく努力をしていました。これまで私の周りにいなかったタイプなので、たくさん刺激を受けましたね。何かに打ち込んでいる人たちの目には輝きがあって、ほんとうに魅力的。「私もこの街で成功したい」と強く思いましたね。
92年の後半にVISAの準備などで、いったん日本に戻り、その間にたまたまグリーンカードが取得でき、93年に再渡米したわけです。
再渡米してから96年に起業するまでは、多くのセミナーに参加して、私に何ができるのかを探す日々が続きました。そこで気がついたことがありました。セミナー参加者の80%以上が、独身の男性だったこと。金融関係に勤めているけれども、早く辞めて自分で起業したいという人が多かったんです。日本食ブームなどもあり、彼らからは、「日本人の女性ってすごく優しいし、見た目も素敵だし、知的だし、すごくいいんだけど、どこで出会えるのかな」という話がよく聞こえてきました。
そして、今のビジネスが思い浮かびました。日本の結婚情報サービスには、結婚できない人たちが登録するようなイメージがあるが、アメリカの結婚情報ビジネスの実態はどうなっているのか、リサーチを開始。自分で登録してみて、登録した人たちはどういう人たちで、どういう活動をしているのかを実体験するしかないと思いました。日本の結婚情報サービスにも登録してみました。
それぞれに長所があり、短所があり、私だったらいい所をミックスして提供したいなど、いろいろ研究しました。アメリカの会社のシステムでいいと思ったのは、写真を見せないパターンのもの。そのかわり、内面やプロフィールを詳しく教えてくれます。このほうが、写真を見せられるより、相手に会ったときの違和感が少なかったのです。写真を見ただけだったら会っていないだろう人でも、職種やバックグランド、家族観や将来のビジョンを事前に知ることで、その人に対する興味が膨らむし、お互い初めて会っても色々深い話ができると思うんです。このシステムは私の会社でも取り入れています。
こうして96年NYで創業。主に日本国内に住む日本人女性と、日本在住の欧米人男性・海外に住む日本人男性・海外に住む欧米人男性が、国籍・国境を越えて運命の人と出会うサポートをするようになったのです。
 |
幸せをつかむ国際結婚のススメ
「運命のヒト」は
海の向こうにいた
小澤裕子
白河桃子共著
日経BP社
¥1,365 |
 |
1ケ月であの人のオンリーワンになれる!
運命のパートナーを
引き寄せる
ミラクル・メソッド
小澤裕子著
ゴマブックス
¥1,260 |
|