今から2年半ほど前の、梅雨が明けた頃。彼は友人に連れられて、私がバイトをしているレストランバーにやってきた。若くはない男性のふたり連れ。私はそそくさと注文をとって、すぐにビールを、しばらくしてできあがった料理を運んでいった。
「ご注文の料理です。取り分けましょうか」
終業時間が迫っていた私は、さっさと料理を取り分けて、遅番の子に引き継ぎたいと思っていた。ところが、突然、片方の男性が、「どこで髪切ってるの?」と聞いてきた。
私は、適当にあしらうつもりで、そこそこ名の売れているヘアーサロンの名をあげた。すると、もうひとりの彼が、「ふ〜ん」と興味ない様子でうなずいていた。
ふたりのビールグラスが空になっていたので、おかわりをたずねると、「ああ」と答えながら、「ヘアーサロンHanaって知ってる?」と、さらに聞いてくる。「Hana」は、私の住むO市一の有名店だし、全国的にも知られているから、当然知っていた。傍らの男性が、「この人は、Hanaのオーナーなんだよ」と言った。
「Hanaって、ほんとに、あのHanaのオーナーなんですか?」
「Hanaの美容師で有名なのは、鈴木さんですよね? 彼は雑誌とかに載りまくってるけど…」
「えっ、でも顔はちゃんと覚えてないけど、ホントに鈴木さんなんですか?」
「そんなに歳がいってるように見えないんですけど、ホントにオーナーなんですか? からかってたら、マジで怒りますよ」
予想外の展開に、私は思ったことを未整理のまま吐き出した。
信じられなかった。目の前にいる風采のあがらない男性が有名ヘアーサロンのオーナーという事実、バイト先の店でそんな大物と出会えたということ。平凡に生きてきた自分史上まれにみるビッグな出来事を、何としてもこの大物と知り合いになって後につなげてやる、と思い始めていた。
思いがけない出来事に興奮した私は、一気にしゃべりまくり、質問しまくった。図々しい子だと、二人が不愉快になるのではないかと一瞬考えたが、私のあどけなさの残った顔が、むしろ無邪気さに見せてくれるはずだと思い直した。私の思惑は当たった。ふたりの男は、私の反応を酒の肴のように楽しみ始めた。
他のテーブルの客を見送って、いそいそと彼らのテーブルに戻ると、「Hanaには行ったことあるの? 今度おいでよ。ボクが髪を切ってあげるよ」と、その鈴木さんが言った。
不意のことで面食らったが、「ぜひ」と反射的に答えて、その場で予約の日時を決めた。
「受付でぼくの名前を出してくれれば、わかるようにしておくよ」と言って、鈴木さんは連れの男性とともに席を立った。いつの間にかチェックを済ませたようで、そのまま帰っていった。
その夜は、興奮して眠れなかった。朝の明るさで少し落ち着きを取り戻すと、予約をするのに、彼は私の名前を聞かなかったことに気づいた。昨夜交わした約束のあいまいさに愕然とした。
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