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Autumn Special 2005.08.25
のりちゃんのおバカな失恋
--28歳 紀子の場合
--
Novelization/笹倉 紫 Illustration/福田さかえ

FAnetオンラインノベルは、読者から送られた体験談をもとに書き起こした小説です。
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うわっつらだけ明るい顔して生きてきた私。ちょっとでもイヤな顔をされるのが耐えられなくて、言いにくいことを言わないですませてきたら、いちばん大事な人にさえ、何も言えない自分になっていた。とってもバカで、愚かな、失恋体験を告白します。


私、周囲の人たちはみんな明るいって言ってくれるけど、ホントはすごく落ち込みやすい性格です。自分でそれがわかってるから、人前では無理して元気に振る舞ってきたみたいなところがあるんです。でも、そんな性格のために大失恋! それも、今考えたらすごくバカみたいな経験なんです。
でもね、私みたいなコって、実は多いんじゃないかな? 以前は恥ずかしくてとても人には言えなかったんだけど、最近、ちょっとそんな気がしてきて、話してみたいと思いました。私みたいなバカ、やらないでほしいから。


シュンの着メロが鳴った。騒々しいカレー屋のテーブルの上。
シュンったら、「今夜かかってくるお得意の電話には、絶対に出ないといけないんだ」と言ってたくせに、携帯を置いたままトイレに行ってしまった。
どうしよう、人の携帯に出るのはいけないこと。でも、もしお得意からの電話だったら、出ないでいて仕事がダメになっちゃうかもしれない。電話の番を頼まれた者です、みたいな言い方で出ておいたほうがいいかも…。
とっさにそう判断して、私はシュンの携帯を手にとった。
「シュンちゃん? ワタシ、今どこ?」
びっくり。聞こえてきたのは、甲高い女の声だった。
「あ…」
「あれ? これってシュンちゃんの携帯じゃないんですか? あなた誰?」
電話の向こうもびっくりしている。かわいくてとっても高い声…。
「すみません。俊一は、今、手が離せないので代わりに出ております。お名前をうけたまわれば、すぐにかけ直させますので」
仕事モードを思い出して、とっさに早口で言った。お得意じゃなかったんだ…。
「あ、あ、そう…、シュンちゃんのお母様なんですね。大変失礼致しました。私、タブセケイコと申します。いいんです。またこちらからおかけします。失礼いたしました」
甲高い声の持ち主も、突然ていねいな話し方になって、あわてて電話を切った。

いったい今のは何?
シュンの携帯を元通りの位置に置き直しながら、呆然としていた。
タブセケイコ…。シュンから聞いたことのない名前。勝手に私のこと、母親と思いこんだらしい。そして、あっちもうろたえてた。
誰なんだろう? タブセケイコ。携帯の画面を見ておけば何かわかったかもしれないのに、見るのを忘れた。
と、また携帯がブルブルとふるえながら着メロを奏で始めた。今度は、迷う間もなく、戻ってきたシュンが手に取った。
「はい、高瀬でございます。毎度、ありがとうございます」
立ったまま携帯を耳に仕事モードに入るシュン。今度こそ、お得意からの電話だ。
「少々、お待ちください。静かなところに移動しますので」、シュンはそう言って、私の顔を見て外に出て行った。

このとき、シュンと私は半年後に結婚を約束した仲だった。互いの友達が恋人同士で、Wデートに誘ってくれたことがきっかけでつきあい始めた。
シュンは、大手メーカー傘下の販売会社の営業マンで28歳。私もリース会社のOLで25歳。ふたりともごくごく平均的なサラリーマン家庭に育ち、まあまあの大学を卒業して、就職氷河期の時代になんとか仕事にありついていた。
つきあい始めた頃、私は仕事にマンネリを感じ始め、なんとなく「結婚」の2文字を意識していたと思う。たぶん、シュンも似たようなものだったのだろう。つきあって1年になる私の誕生日に、「そろそろ結婚したほうがいいかな」とシュンが言ったのがきっかけでお互いの両親に挨拶に行って、話はとんとん拍子で進んでいった。
この日、私たちは、結婚式に招待する人のリストを作ろうと、会社帰りに行きつけのカレー屋で待ち合わせたのだった。

店員がビーフカレーとシーフードカレーを持ってきても、シュンは戻ってこない。手持ち無沙汰なので、先に食べ始めようと思ったが、やっぱり、タブセケイコが気になった。
シュンの携帯に勝手に出てしまったことは、謝ればすむと思う。ちゃんとした理由があるんだから、シュンだってわかってくれる。でも、タブセケイコって誰? シュンちゃんて呼ぶからには親しいはず。でも、シュンからは一度も聞いたことがない。私が忘れているだけ? 私の低い声と違って、鈴のようなかわいらしい高い声だった。
“さっきね、お得意さんからかもしれないと思って、シュンの携帯に出ちゃったの。そうしたらお得意さんじゃなくて、女の人だった。タブセケイコって人…”
シュンに告げようと思う言葉を頭の中で言ってみた。とてもいやな気がした。「女の人」というところで、嫉妬心があらわになっているみたい。まるでシュンの浮気を疑ってる感じ。そんなつもりはないのに、イヤだ…。

結局、私は携帯に出たこともタブセケイコのことも、その日シュンに話すことができなかった。でも、それは私のせいじゃない。
お得意の電話から戻ってきたシュンは、「のりちゃん、ごめん。すぐに来いと言われちゃった。お得意には逆らえないから、悪いけど、オレ、行ってくる」と、そそくさと店を出て行ってしまったのだ。ひとりで食べるシーフードカレーは、辛さばかりが気になっておいしくなかった。シュンの大好物のビーフカレーが目の前で冷えていった。悪い予感…。

その夜、私は、これまでにシュンが話してくれたことを全部思い出してみた。シュンは決して秘密主義じゃない。むしろ、つい何でも話してしまう、秘密が持てないタイプだ。だから、きっとタブセケイコのことも、何か話しているはず。それに結婚が決まると、「オレのこと、何でも知っておいてもらいたい」と言って、聞きたくもない過去の女性体験をすべて、高校時代の彼女のことまで聞かされていた。
記憶力に自信があるほうじゃないけど、でも、タブセという苗字は聞いたことがないと思う。それに電話の感じでは、そんなに昔の友達じゃない。“今どこ?”っていうフレーズは、最近の知り合いのはず。
空がうっすらと明るくなるまで、もうすぐ2年になるシュンとの付き合いを思い出し続けた。シュンの言ったこと、してくれたこと、最初のWデートのときから順を追ってひとつひとつ思い出していくと、あらためてシュンが恋しくなってしまう。そして、ますますタブセケイコが重くのしかかる。
タブセケイコって誰? シュンを疑ってるなんて思われないように、自然な感じでたずねることできるかな。でも、タブセケイコは、またかけ直すって言ってたから、シュンのほうから話してくれるかも…。
“のりちゃん、この前、タブセケイコからの電話に出ただろ? どうしてオレに言ってくれなかったんだよ”
“ごめんごめん、伝言しようと思ったのに、あの時、シュンたら、すぐに飛び出して行ったでしょ。だから話せなかったの。で、大丈夫だった?”
“うん、急ぎの用じゃなかったからね。そういえば、のりちゃんにタブセのこと、話してなかったっけ?”
な〜んて感じで、自然にタブセケイコの正体がわかれば、それがいちばんいいんだけど…。
私は祈るような思いで短い眠りについた。

翌々日、再度、結婚式の招待者リストを作るために、私の家近くのファミレスで待ち合わせた。大きなテーブルの上にノートを広げて、互いの親戚や友人の名前を書いていく…。シュンはこういうことをやらせると、本当に手際がいい。
私は、シュンが書いていく友人や親戚の中に、タブセという苗字を探した。でも、ない。ケイコという名前は2人いたけれど、苗字は違った。
あれから、タブセケイコは連絡してきていないのだろうか? シュンは何も言わない。タブセケイコから電話がなくても着信履歴は見ただろうに。どうして、シュンは“勝手に人の携帯に出ただろ”と言ってくれないんだろう? 私は、いつもどおりの笑顔を作りながら、内心はドキドキし続けていた。
「ねえ、シュンってさあ、これまで付き合った彼女4人だって言ってたよね。高校時代の彼女と、大学のときの、えっとエリさんだっけ。元カノ、誰か呼ばないの? あと、えっと、誰だったっけ?」
「のりちゃん、なに言ってんだよ。どこに結婚式に元カノ呼ぶやつがいるんだよ。もうつきあってもいないのにさ」
私が聞けたのはここまでだった。少なくとも私の知っている元カノの中に、ケイコはいない。じゃあ、タブセケイコは、シュンのどういう人? 元カノじゃないとしたら、何?

心の中で、不安がどんどんふくらんでいく。
シュン、お願い、“どうしてタブセケイコの電話に出たこと、オレに報告しなかったんだよ”って言って。そう言って私を叱って。そうしたら、私、ちゃんと謝るから…。
心の中でそう叫びながら、私は、例によって、いつもどおりの明るいのりちゃんを演じ続けていた。シュンにさえ、内心の動揺を隠すことができる自分。そんな自分がのろわしかった。


ここまで話してきて、バカみたいって思う人、いっぱいいるでしょうね。一度相手の携帯に出ただけで、それ以外何ひとつわからないのに、どうしてそこまで悩むのか、相手に聞いてみさえすれば、すぐにも解決することかもしれないのにって。
ほんとうにそう。私、実際、相当なバカだったんです。本当のバカだったんだからしかたありません。
でも、もう少し聞いてください。ここからどうやって大失恋に至ったか。そんなに長い話じゃありませんから。


このころ、シュンとは、結婚式の準備やら挨拶やらで週に2、3回は会っていたので、たぶん10回ぐらいは、同じような精神状態でシュンに接していたと思う。シュンは、タブセケイコのことも、勝手に携帯に出たことも、何も言ってくれなかった。
タブセケイコは、私の心の中で日を追うごとに大きくなり、イメージがリアルになり…って、実際には何も知らないんだから、単なる妄想だけなんだけど、とにかく、私は、シュンが、実は極秘裏にタブセケイコというキレイな声の美人と付き合っていて、私との結婚後もその関係を続けていくつもり、という、すごい妄想にとらわれるようになっていった。
そのくせ表面的には、一切そんな悩みを持っているふうにはみせないから、シュンだけでなく友達も職場の同僚も家族も何も知らない。誰か友達に話せば少しはラクになったり、その人が解決策を教えてくれるかもしれないのに、そういうことが、私にはできない。それで、ひとりで苦しみをかかえて、眠れなくなって、体の具合も少しずつ悪くなっていったんだと思う。

そんなとき、会社の同期数人が結婚祝いの飲み会を開いてくれて、酒にはめっぽう強いはずの私が完全に酔いつぶれてしまった。心配だから家まで送ると言ってくれたのを断って、ひとりで電車に乗ったら、もうダメ…。
途中下車してトイレで戻してしまい、ホームのベンチで休んでいたときだった。通りかかったサラリーマンふうの男性が、「すごく青い顔していますよ。大丈夫ですか」と優しく声をかけてきて、酔っていたからよく覚えていないんだけど、とても紳士的で信頼できる感じだった。
そう、その紳士的な雰囲気に欺されたというか、当時の私の精神状態のせいか、それまで一度もナンパに応じたことなんてなかったのに、「ちょっと休んでいきましょう」という誘いに、私はしなだれかかるようにのってしまったのだ。
行き先はラブホテル。そこまでは覚えている。でもそのあとのことは記憶にない。その男性の顔も背の高さも全然思い出すことができない。でも、ラブホに行って、それなりのことをした、それは事実。
そして、最悪なことに、どうしようもなく最悪なことに、早朝そのラブホから出てきたところで、友達カップルと鉢合わせ!
それも、シュンと私をWデートに誘ってくれた、あのふたり。
私は酔いがさめて、どうしてこんなことしちゃったんだろうってショック状態だった。そんなときに、目の前に友達とその彼氏がいた。
彼女たちは公然の恋人同士だからラブホから出てきたってなんの問題もない。でも、私は…。
もちろん、そのときは、互いに知らんぷりで別れたけれど。

それからのことは、ご想像どおり。
私の友達もその彼氏も、「見てしまったからには、シュンに言わないわけにはいかない。単なる恋人同士だったら黙っていることもできるけれど、シュンと私は婚約しているんだし、ふたりを紹介した責任があるから」って、もっともな話だ。
そして、それを聞いたシュンがどう思ったか。たとえ酔っていたといっても、見も知らぬ男性にナンパされてラブホに行ってしまった女と、予定通りに結婚できるかって、そりゃあ無理だよね。シュンはお堅いほうだし、シュンも目撃者の友達ふたりも、私が思い悩んでいたことなんて、何にも知らないんだもの。
「のりちゃんがそういうことするなんて、生まれて初めてくらいにびっくりした」と、その友達にも言われてしまった私。
弁解しなかったかって? とってもできなかった。タブセケイコの一件を話せばわかってくれるかもしれないと、ちょっとは思ったけれど、でも、話せてたらとっくに話していたわけで、ナンパされてそれを目撃されてという後では、もっともっと話しにくくなっていた。

それから私は放心状態で、なんか周囲で勝手に物事が進行している感じだった。シュンが婚約破棄を伝えにうちの両親に会いに来て、ナンパの話はせずに自分の仕事の都合だとか言ってくれて、うちの母がずっと泣いていて、私に「ホントにいいの?」と何度も聞いてくれたけど、私は何にも言えなくて…。
結婚式の招待状を出す直前だったので、“最悪の状態は切り抜けられた”みたいなことを両親が言っていた。
結局シュンは、一度も私を叱ってはくれなかった。最後に会ったときは、申し訳なさそうにこう言っていた。
「きっとのりちゃんは、魔が差しただけだと思う。でも、時期が最悪だった。オレも男として、いったんは、こうするしかないんだよ。もう一度、やり直せるものならやり直したいんだけど、今はできない。いったんゼロに戻したい」
私は黙ってうなずいて、それで終わり。
予定していた結婚式の3か月ぐらい前だった。

こうしてあっという間にすべてがおじゃんになって、私は、からっぽになってしまった。
からっぽになった私は、さすがに明るく振る舞う元気もなくなって体も動かない。出社拒否状態。毎日、家でぼうっとしているだけの私を、母は強引に病院に連れて行った。何せ1か月で15キロぐらいやせてしまったから、重い病気じゃないのかと本気で心配していたのだ。本当は、食べ物が受け付けられなくなっていただけなんだけど、親に心配かけたくないから、私は、うまくごまかしていた。私って、そういうことばかり知恵が回る。病院で処方されたのは、ビタミン剤と精神安定剤だけだった。
それでも、3か月もぼうっとしていると、さすがに落ち着いてきて、少しずつ自分のことが考えられるようになっていった。食べ物がおいしいと思える日も出てきて、なんか、自分の生き物としての、最低限のエネルギーみたいなものを実感することができた。
気がついてみると、結婚式を予定していた日から1か月も過ぎていた。
そのとき、シュンとの2年間が夢みたいに思えてきて、そうだ、あれは夢だったんだ、とっても素敵な夢だったんだって、そんなふうに受け入れることができるようになったのだ。


会社には、親が診断書を出してくれていたので、復帰することができた。
戻ってみると、みんな心配してくれていて、「治ってよかった。もう一度一緒に働こう」って、すごく優しかった。結婚がダメになったこと、もしかしたらその原因を知っている人もいたかもしれないけれど、何も言わずに受け入れてくれて、すごくうれしかった。
会社に復帰して生活のリズムが取り戻せたおかげで、自分がどれだけバカだったか、愚かだったか、冷静に考えることもできるようになったんだと思う。

失恋の直接の原因は、ナンパされてラブホに行ったことだけど、でも、ホントは違う。
これまでの私が、人との付き合いの中で、角が立つことや言いにくいことから全部逃げてきたことが本当の原因。私は、ずっとみんなに、うわっつらだけいい顔して生きてきたんだ。
相手がちょっとでもイヤな顔するのが耐えられなくて、そういうことを敏感に感じ取ることばかり上手になっていた。聞きたくないことを聞かないですむように、言いたくないことを言わなくてすむようにしてきたのは、全部自分がかわいいから。
シュンの前にもつきあった人はいたけど、でも、シュンこそ、私が初めて本気で恋した人だったんだと思う。本気で愛してたからこそ、これまでの私のごまかし人生の結果が、モロに出てしまったんだと思う。
だからシュンとの恋こそ、私の初恋。そんなふうに思えるようになって、私は少し大人になれたかな。
自分が思いっきりバカだったこと、シュンを失うことでようやくわかった。大切な人には、自分が傷つくのも覚悟して、言わなくちゃいけないことがある。大切に思っているからこそ、勇気が必要なんだって。

こうして立ち直った私が、シュンを紹介してくれた友達に最初に聞いたことは、「タブセケイコって誰?」
そうしたら、彼女、一生懸命記憶をたどって答えてくれた。
「タブセさん? えっと、山野恵子さんのことじゃないかな。ほら、シュンが新入社員のときに手取り足取り指導してくれたっていう先輩。シュンたら、ホントの姉貴かお母さんみたいだって言ってたじゃない。彼女、今は結婚して、だんなの転勤で大阪に住んでいるんじゃなかったっけ。たしか結婚後の苗字が、タブセさんだったと思うよ」
Fin
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