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●場所は蓼科、会員しか行けない高級リゾートホテル。庭もインテリアもそりゃあゴージャスだったけど、実は、私たちの目的はテニスでした。一緒に行った友達とは大学時代のテニスサークル仲間で、卒業してからずっとやってなかったテニスを思う存分やろうよって、その子が誘ってくれたの。それと、彼女がその翌年には結婚する予定で、もう気楽に女同士で旅行なんてできないだろうからって…。
●ところが…。彼女、麻美って言うんだけど、ホテルに着いてすぐにテニスやったら、あっという間にねんざしちゃったんです。仕事で疲れてたのに無理したから。で、私も、彼女を介抱しながら、相手がいなくてはテニスできないと落胆していたら、「ここは、ひとりで来ても相手をしてくれる人がいるって聞いてたよ。私に遠慮しないでいいから、行ってみたら?」って、彼女が言ってくれたんです。麻美は読書魔でもあったから、私も気にしないで、早速テニスコートに行ってみました。
●コートの入り口で、誰かいるのかなあって見回したら、「お相手しましょうか?」って、誰かが声をかけてくれた。あとでわかったんですけど、一人でテニスをやりに来た客のために、近くの大学のテニス部をバイトに雇っていたんです。テニスコートの管理とかも彼らが中心になってやっていて、よく見ると4,5人の学生がいました。その中のひとりが、声をかけてくれたんです。
●それは、よく日焼けした背の高い青年でした。腕ががっちりしてて、いかにもスポーツマン。私、「はい、お願いします」って、学生のノリになって挨拶して、早速、打ち合いを始めました。もちろん、あっちのほうが格段にうまい。でも、私の力量に合わせてくれてるんだってすぐにわかったから、つい一生懸命になってしまいました。楽しかったなあ。テニスに夢中になるなんて、大学卒業以来初めてのことだったし。
●自分でもどれくらい下手になってるかわからなかったけれど、彼が合わせてくれるおかげで、昔のフィーリングをどんどん思い出してきて、スムーズに打ち合いができるようになりました。「そろそろ、疲れてきたんじゃないですか」って、彼に何度か言われたんだけど、「もう、ちょっと」「もう、少し」って頼んで、結局、2時間くらい、夢中になってテニスをやってしまいましたよ。
●でも、その日は、テニスができたことが、すごく楽しかっただけ。ほかのこと何も考えずにスポーツに集中すると、ストレスなんて吹っ飛んでしまうでしょう。心地良い肉体疲労に全身包まれて、「ああ、気持ちよかった…」って、ホテルの温泉に入って極楽気分でしたね。
●部屋に帰ってみると、麻美はフィアンセと電話してて楽しそうだったし、こっちが何をしてたかなんて聞いてもこなかった。それに、麻美とレストランでディナーをとったら、これがまたすごい豪華コース。なんて、素敵な夏休みになったんだろうって、ホント、最高の気分で眠りについたわけです。
●次の日は、麻美が、「テニスはできないけど、ゆっくりなら歩けるから、近くの美術館に行ってみたいんだけど、どうする?」と言ってきたので、「悪いけど、私はテニスがしたい」と言って、別行動にしました。
●一緒に夏休みを楽しむつもりで来たのに悪いかなあと思ったんだけど、それでも、私、テニスがしたかった。麻美は、そんな私の気分がわかって、「いいよ、いいよ、気にしないで」って、まあ、なんというか、あれは、好きな彼氏との結婚が決まってる女の余裕ですよね。実際、彼女、早くも、高級ホテルにふさわしいマダムの雰囲気を漂わしてきててた。それと反対に、私は、テニスをやったせいか、学生気分に戻っちゃってました。
●朝食を終えて、そそくさとテニスウェアに着替えてコートに行くと、例の青年がいたので、早速、目の前まで行って、「今日もお願いします!」って、深々と頭を下げたんです。
●彼は、びっくり! そりゃ、そうですよね。バイトとしてお客さんの相手をしてるつもりが、突然、後輩にされるみたいに、挨拶されたんだから。でも、彼、田舎の青年にしては、対応がスマートでした。「はい! 喜んで!」と笑顔で答えて、さっさとラケットを持ってきて、「今日は、ゲームしますか?」って。
●この日、ゲームしている最中だったなあ。「私、この人のこと、好きになってるみたい」って思ったのは。サーブで空を見上げる姿や、タオルで汗を拭くときなんか、すごく魅力的に見えちゃって。いいな、男の人のこういう姿って…って、見とれちゃったりしてました。
●ゲームと言っても、彼が本気になったら、私が彼のサーブをレシーブできる可能性なんてふたつにひとつもないから、あくまでも彼が合わせてくれたんですけどね。それでも、彼の合わせ方が巧妙だったおかげで、私はゲームに集中できたし、そんな彼の心遣いもすごくうれしかった。
●3セットやって2対1で私の負け。ま、勝敗なんて関係なくて、私は、相手をしてくれたお礼をしたいからと、彼をランチに誘いました。誘ったときは、私は社会人のお姉さんよ、って雰囲気で言ってみたんだけど、心の中は、もう彼に対する好奇心でいっぱい。名字が江上くんで、大学は近くの国立大ということしか知らなかったから、いろいろ聞きたかったんです。実家はどこ?とか、彼女はいるのか?とか。といっても、彼氏にしたいなんて具体的に思ってたわけじゃないですよ。ただ、とにかく、彼を見て、彼と話していたいと思っただけ。
●ランチもすごく楽しかったですね。ホント、さっきも言ったけど、彼は受け答えがとっても自然で、こっちに負担を感じさせないスマートさがあったんです。それが、ホレたいちばんの理由かもしれない。私、コミュニケーションがうまくないから、相手がぎこちないとダメになっちゃうほうなんです。そんな私が、自然に、いろいろと聞くことができたんだから、たぶん、彼がそういう雰囲気を持っていたんです。
●ランチでわかったのは、彼が22歳で、経済学部で、テニスサークルの部長をしてて、来年卒業なんだけど、卒業したら、親がやってる会社で働く予定ということ。彼女はいるかってことは、さすがに聞けなかったけど、これは、あとでわかっちゃった。
●でも、ランチのときの思い出は、彼のプロフィールを聞いたことより、彼を身近に見つめていたことのほうが大きいなぁ。彼、客観的に見たら美系とは言えないと思うけど、そのときの私には、すごくセクシーで魅力的に見えたんです。
●それは……、なんていったらいいかな、そう、映画でセクシーな俳優の表情やしぐさに見とれるときのような感じ。いつもは気がつかないちょっとした視線の変化や指の動きとか、そういうのに目が行って、そのひとつひとつが、ああ、男の人って素敵って思っちゃうような、そんな感じ。
●あらためてスポーツをやってる男性ってセクシーだなあって思いました。無駄な贅肉がついてない筋肉の筋ってキレイでしょ。適度に日焼けしているからボディの曲線がキレイな陰影になって見えるし。私は、彼そのものというより、男性美に見とれてたのかもしれないですね。
●ランチが終わったとき、「午後も相手してくれます?」って聞いたら、「すみません。用事が」と言われて、ちょっとがっかり。でも、彼、「明日、まだいらっしゃいますか」って聞いてくれた。「午前中はいます」と答えると、「じゃ、明日もやりましょう」だって。うれしいフォローでしょ。
●それで、その日の午後は、美術館から帰ってきた麻美とおしゃべりしながら過ごしたんです。麻美に、江上くんのことを話したら、彼女、敏感に察して、「ちょっと、ホレた?」ってニヤニヤ。「だって、相手は学生だよ」と答えたら、「今は年下が流行だからねえ」と言うから、逆に私は、これってやっぱり恋?とか思い始めちゃいました。そのせいかなあ、その夜、私、彼のこと、夢に見ちゃったんですよ。ズバリ、江上くんとデートしてる夢。それも、麻美が行ったと言ってた美術館を一緒に歩いてる夢。夜中に目が覚めたとき、「夢だったんだ」ってがっかりしたほど、リアルな夢でした。
●翌日のテニスは、もう、私、ずいぶん意識してましたね。もちろん、表には出さなかったけど。
●でも、その日はもうチェックアウトする日でもあったから、テニスをやりながら、「もう帰るんだ、このままだったら、これで終わりだ」なんて思ったりもしてて。心の中では、「こういう恋は、小さな恋の思い出で終わらせるのがいい」という気持ちと、「夢でしたように、一度はデートしてみたい」という気持ちが交錯してた。それに彼とレシーブの応酬するのが楽しくて楽しくて、彼の姿を見ているのが幸せで。ああ、私、やっぱり恋してる、とか思って、たぶん、江上くんのこと、ホレた女の目で見てたんだと思います。江上くんが気づいていたかどうかはわからないけど。彼、たぶん気づいていても、気づかないふりをするタイプだと思うので。
●でも、結局、私は、何もできませんでした。そのまま帰ったんです。そのときは。
●あのとき、もう一度、麻美が私のこと、からかうか何かしてくれたら、勇気が出たかもしれないけど、麻美は麻美で、フィアンセと何度も電話してて、心はすでに東京に戻ってましたからね。
●三度のテニスと一回のランチの、小さな恋の思い出。
●今思うと、それだけにしておけば、こんなにも長く記憶に残ることもなかったと思うんですけど。
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