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●それから3か月ぐらいは何事もなく、前と同じように平穏に過ぎていきました。
●実際3か月もたつと、電話のことを忘れてる日もあったし、剛史のようすも変わりなかったから、そんなに気にならなくなっていました。ただ、ちょっとの変化といえば、早く結婚したいって言ってた剛史が、結婚のこと言わなくなっていた。でも、結婚話のたびに、私のほうがもう少し待ってと言い続けてたから、きっと、いったんあきらめたんだろうと、たかをくくっていたんです。
●そんなときでした。会社の同僚の結婚式があって、花嫁が一つ下の後輩だったんですけど、うれし涙を流している花嫁を見て、私、もらい泣きしてしまいました。平凡な結婚式だったけど、新郎の照れ笑いや新婦のキラキラした目や、両家のご両親のようすなんか見ていたら、結婚っていいなあって、私、しみじみ思っちゃって。もうすぐ私も26歳。26歳のうちには結婚したいなあって。
●そう思うと、なんで今まで結婚したくならなかったんだろうって、自分でも不思議なくらいでした。相手がいないのならまだしも、親も認めてくれてる相手がいるのに、私の気持ちだけで結婚を遅らせてたなんて、私ってバカみたいと思いました。それに、結婚すれば、あの電話のことも永久に抹殺できると、チラッと思いました。
●善は急げと、結婚式の帰りに剛史の家に寄って、結婚したくなったこと、剛史に告げました。
●「お待たせしたけど、ついにその気になったの。来年の2月で26歳になるから、26歳のうちには結婚したい。よろしくね、剛史さん」
●私、とっても気分が高揚していたと思います。剛史を前にして、きちんと頭を深々と下げてそう言ったんです。もちろん、剛史が喜んでくれると思ってたから。
●ところが…、剛史の反応は、予想とは正反対でした。例によって話し下手だから、すぐにどうこうというわけじゃないんだけど、まず、困った表情をして、それから目をそらした。その後でようやく、「あの…、うれしいんだけど、ちょっと困ったことがあって…」と向こうを向いたまま言ったんです。
●私は、また責めるようになっちゃいけないと思って、ちょっと黙って待っていました。そうしたら、
●「実は、来年3月に転勤になると思うんだ。だから、来年、結婚するの無理じゃないかと思う」と言います。
●私は、がっくりきました。でもいろいろ聞くと、転勤というより半年から1年程度の長期出張みたいだし、場所も静岡だし、結婚するのに支障はないように思ったんですけど、剛史はどうも乗り気じゃない。「忙しくなるから、結婚の準備ができない」みたいな言い訳をしました。
●なんか剛史のようすがこれまでと違うと、あらためて思って、そのときはそのまま引き下がったんですけど、家に帰ると、しばらくの間平穏だった心の中が、不安でいっぱいになりました。
●そして思い切って、剛史と共通の友達に電話をしたんです。
●男の子で、剛史の大学時代の親友で、私も大学時代から知ってた友達です。もし、私の知らない剛史がいるなら、そんな剛史を知っているのは、彼しかいないと思ったんです。「ちょっと相談したいことがあるんだけど、時間ないかな」って頼んだら、彼、吉田くんは、次の日の会社帰りに会ってくれました。
●渋谷のカフェで待ってくれていた吉田くんは、私の顔を見ると、早速本題に入ってきました。彼は、明るくて元気なやり手の営業マンなんです。
●「いつか、連絡あるかもって思ってたんだよ」
●「え、どうして?」
●「布施のやつ、きっと、香織ちゃんに言えてないと思ったから」
●「え、なに? 何かあったの?」
●吉田くんは、「ちょっと待って」といって、私のグラスにビールを注ぎ、居住まいを正すように座り直して話し始めました。
●「まず、言っておく。これからおれの話すことは、本当は布施が直接、香織ちゃんに話すべきことなんだ。それが筋だってことは、布施もわかってる。
●でも、結局、今の今まで、布施は言えなかったわけだ。おれは、香織ちゃんから相談があったときには、おれから話すと布施に言ってある。だから、今日、おれは香織ちゃんに知ってることをすべて話す」
●ここまで言われれば、私だって、すごく深刻なことだってわかります。心の準備をしていたとは言えないけれど、しっかり落ち着いて聞かなくちゃって思いました。
●「香織ちゃんにはショックなことだと思う。でも、このまま知らないでいるよりは、知っておいたほうがいいと、おれは思う」
●「うん、わかってる」
●そんなふうに始まった話は、本当に衝撃的な内容でした。
●私の知らなかった剛史がいたというだけでなく、私自身の知らなかった面を突きつけられた、そんなショックだったんです。
●まず、剛史は、ここ1年ぐらいキャバクラに通っていた。キャバクラで仲良くなった女の子とホテルにも行っていた。
●「きっかけは、男の性的欲求だな。布施はもっと香織ちゃんとセックスがしたかったんだ。でも、香織ちゃんにやんわり断られると、それでもやりたいなんて、言えなかったんだ」と、吉田くんは言いました。
●もんもんとした気持ちを解消するために、会社帰りにキャバクラに行くようになった剛史は、キャバクラでベタベタするだけではあきたらず、女の子に誘われるままホテルにも行くようになったんだそうです。
●そのうちに、ひとりのキャバクラ嬢が、剛史のことを本気で好きになった。それがサキコ。いわゆるキャバクラ通いをするタイプとは全然違う剛史に、サキコは夢中になってしまったらしいんです。このへんは、吉田くん、“剛史の話から類推すると”と言っていましたが、とにかく、サキコは優柔不断な剛史を積極的に誘って、自分の部屋に連れ込み、彼の性的欲求を満足させ、結果、相当親密な関係になってしまったと…。
●吉田くんは、こんなことも言いました。
●「布施自身、自分がサキコを好きかどうか、よくわからないんじゃないかと思う。ましてや、香織ちゃん以上にサキコのことを好き、ということはないと思うよ。それは断言できる。でも、香織ちゃんと布施の関係には、おれも感じてるけど、姉と弟みたいな、きょうだいみたいなところがあるだろ? はたち前からつきあってるし、香織ちゃんは、どこか布施をかわいい弟分みたいにリードしてきたし」
●それは、言われてみて、初めて気がつくことでした。確かに、私は、いつも剛史との会話をリードしてきました。それは、話し下手な剛史に、話しやすい状況を作ってあげようという気持ちからでした。でも、まるで子供を問いただす母親のような聞き方だったのは確か。
●「布施は1日中研究室にいる仕事をしてるし、ほんとうにオクテだしオタクだよ。それでも、少しずつは成長してきた。本当は香織ちゃんとの関係も変えたくなってきたんだと思う。男として、香織ちゃんをリードしたい、従わせたいという気持ちが出てきたんだと思う。でも、まだまだ香織ちゃんのパワーには対抗できないんだな。だから、一種の逃避行動というか代償行為として、サキコって子のところへ行ってるんだろうと、おれは思っている」
●そして最後に、吉田くんは、こう言ってくれました。
●「おれは、君たちが結婚するのに賛成だ。香織ちゃんと布施はお似合いだし、結婚してもうまくいくと思ってる。でも、今のままで結婚するよりは、一度、ふたりの関係を見直したほうがいいんだろうと思うよ。子供同士の関係から大人の関係へってとこかな。だから、おれ、今日、知っていること全部話した。布施の成長を、少しの間、待っててやってほしいんだ。きっといつか、サキコとも別れると思うから」
●私、家に帰るまでは我慢して、自分の部屋に入ったとたん、大きな声をあげて泣いてしまいました。母親がびっくりして飛んできたけど、わめいて追い出して、ひとりでおいおい泣いたんです。
●剛史が浮気してた…ショックでした。でも、それだけじゃない。私の知ってる世界そのものが崩れたような感じ。これまで私が信じていた世界が全部ウソだったみたいな。
●剛史のこと、誰よりも知っていると思っていたのに、そんなの真っ赤なウソだった。剛史がセックスしたいと思っていたことを、全然知らなかった。気弱な剛史のことを気遣っていたつもりだったのに、全然わかってなかった。
●なんでほかの女の人とセックスする前に、私に言ってくれなかったのよ、そんなのずるい!って、剛史を責めたかった。でも、それが言えない剛史だってこと、私は誰よりもよく知っていたはず。そして、そんな剛史でいいと思い込んでいた、それも確か。
●そして、剛史のからだを私以外の女の人が優しく愛撫していて、剛史とセックスしていて…、想像したくなんかないのに、ありありと想像してしてしまいます。もう、それは胸が焼け付くように痛くて痛くて、声を出して叫びたいほどでした。
●そう、私は生まれて初めて、嫉妬に身もだえしてしたんです。
●一晩泣きはらしてから、私は、生まれて初めて、いろんなことを考え始めました。くる日もくる日も、剛史とのことや自分自身のこと。自分がこれまで何を考え、どう生きてきたかってこと。
●苦しかったけれど、吉田くんが言った「大人」という言葉が支えのような気がしました。つきあい始めたとき、私も剛史も子供だった。そして子供の関係のまま、25歳を超えてしまった。ほんとうはその間にふたりとも変わっていたのに、私は全然気づいていなくて、そのせいで見えてなかったことがいっぱいあった。それを思い出してみようって、そんなふうに思ったんです。
●いろいろ考えると、剛史に言いたいこともいっぱいでてきました。でもまずは我慢しした。自分のことをひたすら振り返ってみることにした。
●というか、本当のことを言えば、このまま剛史に会ったら、ひどいことを言って、剛史に永遠にフラれるんじゃないか、剛史が永遠にサキコのところに行ってしまうんじゃないかって思ったからです。
●私、それまで、自分がわがままだなんて一度も思ったことなかったんですけど、でも、考えれば考えるほど、すごく自分勝手に生きてきたんだと思いました。剛史という安心できる恋人がいて、それが当たり前になって、何を言っても許してくれるから、結局、剛史の内気な性格を気遣うふりして、やりたい放題してきたんだ…と、初めて気がつきました。
●そのことに気づくと、これまで剛史との間にあったことが、全部違って見えてきたんです。あのとき私はこう思ってたけど、剛史はきっとそうじゃなかったんだ…みたいなことがいっぱい出てきました。
●そうなると、剛史に会いたいと思っても、とてもじゃないけど怖くて会えない。だって、今までのようにはふるまえないし、かといってどうふるまったらいいかわからない。下手なこと言って嫌われたら死にたいし…。
●うじうじしながら仕事だけの生活をしていたら、剛史からメールが届きました。
●「吉田から話は聞いたんだよね。ごめんなさい。悪いけど、しばらく会わない」
●そんなメールでした。
●「うん、私も頭を冷やす」と返事をしました。
●吉田くんから話を聞いてから1か月ぐらい経ったころでした。
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