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●「大好きだよ。」
●部屋に残した小さな手紙。
●彼は読んでくれただろうか。
●部屋の片隅に残した私の精一杯の気持ち。
●気づいてもらえただろうか。
●あれから一年。
●また会える日をどれだけ願っただろう。
●2年前の9月、私はアメリカのオレゴン州に留学した。
●オレゴンには、さらにその2年前に2週間だけ姉妹都市の研修会で滞在したことがあった。
●その2年前の研修会のある日、朝食に向かうと研修生の中にJが一緒にいた。
●地元の日本語学校に通うJは私たち日本人と溶け込み、一緒にオレゴンを観光した。
●観光中、私とJは仲のいい友達になった。
●バスで隣に座って私にもたれて寝るJは私にとってかわいい弟ができたような感覚だった。
●2週間の研修が終わり日本に帰る時、空港でシクシク泣いていたのは私だけだった。
●Jと別れるのがすごく辛かったのだ。
●そして2年前の留学のとき。久しぶりに訪れたオレゴン州で私は寮に住み、コミュニティーカレッジで幼児教育プログラムに入った。これから2年、いよいよ夢にみたアメリカ生活がはじまる。不安と期待で胸がいっぱいだった。
●そして、J...。
●また会えるかもしれない。
●しかし、Jが住んでいた家に電話すると、Jはもうそこには住んでいなかった。電話に出たのは新しくそこに住み始めた人で、Jという子は知らないと言われてしまった。
●仕方がない。連絡とれないならどうしようもなかった。
●私はそのまま寮生活や学校の宿題に追われ、いつしか自分の生活で頭がいっぱいになっていた。
●もしかしたらJの通っていた日本語学校の人が連絡先を知っているかもしれない。
●ようやくこの事に気づいたのは、それから約4か月たってからだった。
●私はJと連絡をとれなかったものの、Jと出会ってから興味を持った、その日本語学校でボランティアをしていた。アメリカの子供に日本の文化や言葉を教えることに、ニュージャージー州で幼児期を英語と日本語で過ごした自分の環境が重なり、いつしか子供に日本とアメリカの文化の架け橋を提供するような仕事がしたいと思うようになったのだ。
●Jはボストンにいた。
●学校の事務所の人が電話番号と住所を教えてくれた。
●早速電話をしてみると、Jのお母さんが出た。まだ会ったことのないお母さんのイギリスなまりの英語をきいてドキドキした。Jとの距離がすこし縮まったような気がした。しかし肝心のJはスノボー旅行に出かけていて帰ってくるのは4日後だった。
●私はちょうど学期が終わり1週間の春休みで、幼い頃すごしたニュージャージー州にいく予定だった。Jが家に戻るという日がちょうど私がニュージャージーに着く日だったから、Newark空港についてからまた電話をしてみたが、Jはまだ家に帰ってきていなかった。
●2年ぶりに連絡がつながったのはその日の夜、3回目の電話でだった。
●Jはすっかり声変わりしていた。背も随分高いらしい。
●高校生になり、フットボールや陸上をしているらしい。
●「J、日本にきなよ。」
●「でも泊まる所ないよ。」
●「うちに泊まればいいじゃない」
●「はは。考えてみるよ」
●最近みた映画がおもしろかっただの、学校の話などをしてEメールアドレスを教えあった。
●もう日本語の勉強はしてないらしく、会話は英語だった。
●すごく悔しかったのが、西海岸のオレゴン州から東海岸のニュージャージー州まできたのに、ボストンまであとちょっとの所なのに会うことができなかったことだ。
●それから2か月後の春。
●「本当に日本にいってもいい?」
●ある日Jからメールがきた。
●まさか本当に日本のうちに来るとは思わなかった。
●7月になるのが待ち遠しくてしょうがなかった。
●Jが日本に着くのに近い時間の飛行機のチケットをとり、日本へ向かう飛行機の中で私はものすごく期待をしていた。
●1年ぶりの日本に到達し、家族と対面。そしてJが出てくるのをまった。
●J!!
●Jは相変わらず愛嬌のある笑顔をみせてくれた。
●とにかくうれしくて空港からの横浜の家までの2時間があっという間だった。
●日本のお笑いを見て笑い、日本とアメリカの違いを言い合い、花火大会に行った。原宿のEvisuジーンズの店にいったり、鎌倉でお好み焼きを食べたり、浅草でラムネを飲んで、ディズニーランドと富士Qハイランドにもいった。Jに初めてキスされた日から、毎日二人きりのときを見計らってキスするようになった。一日一日が過ぎていくのがすごく怖くて、一日が終わるたびにJが家にいる日数を数えていた。
●Jは3週間日本に滞在して、2週間中国に滞在する予定だった。
●なぜ中国なのか本人もわからず。ただJのお母さんがJを送りたかったらしかった。
●帰途は、中国から一旦、日本に戻り、翌日の便でボストンに出発する。そのため、Jは千葉に住んでいる私の友達の家に一晩だけお世話になる。つまり2週間後にまた一晩だけ会えるのだが、別れはやっぱりつらかった。
●中国へ出発する日の空港へ向かうタクシーに乗っている間、私はだまった窓の外を見ていた。
●何も話せない。
●この状況に耐えることで精一杯だった。
●Jがそっと私の手を握ってくれたとき、涙があふれてきたけどうれしかった。
●初めてJと別れた時と同様、どうしてこんなにもJと離れるのがつらいのだろうか。
●Jの飛行機が空に飛び立って見えなくなるまで見送った。
●一番辛かったのは、それからだった。
●目の前に見える郵便局は、外貨の交換に何回も二人で通ったところ。
●いつも隣にいた人がいない状況。
●もう汗を拭くタオルを2つ用意する必要もなかった。
●テレビをみては、Jが面白がっていたCMが流れる。
●残された方は、その余韻に浸っていなければならなかった。
●待ちに待っていたJからのEメールは4日後に届いた。ステイ先の中国人の女の子が、Jと同じ便でボストンに留学するといってきた。そこには、私に会いたいとか寂しいとか期待していた言葉はなく、私はJに怒った返事をしてしまった。
●次のメールで会いたいといってくれたが、自分から催促して言われた言葉は心に響かなかった。とにかく今までで一番長い2週間がすぎ、千葉の友達の家に一晩とまり、Jは帰っていった。
●数日後オンラインメッセンジャーで話した時、私たちは、お互い好きであるけれど友達でいる事を選んだ。理由は会えないから。
●それからJから連絡はなかった。
●メールを送っても返事はなし。
●オレゴンに戻ってから、メッセージカードを送ったり、日本で買ってきた恵比寿のお守り(Evisuジーンスは到底買えないので)をクリスマスに贈ったが、音沙汰なし。
●冬休みに1回電話してみたものの、「今忙しいから」といって切られた。
●長くて暗い冬だった。
●Jを思い出しては一人でこっそり泣いたことも何回かあった。
●2月のある日、私はJからのEメールをみて、その場で崩れて泣いた。
●「今まで無視していてごめん。
●事情があって連絡をとらなかった。
●でもまだ友達でいたいと思っている。
●PS. 恵比寿のお守りうれしかったよ
●愛をこめて。」
●今年も夏がやってきた。今回は私がJの家を訪ねた。
●Jは日本語の勉強を始めるため、日本語のクラスのある学校に編入するといっていた。●「Jがボストン行きの飛行機に乗るとき泣いているのをみたよ。彼、途中でふざけた事しだしたと思ったら、急に静かになっちゃったの。」
●1年ぶりに会った中国人の女の子が教えてくれた。
●私はJの部屋の恵比寿のお守りが置いてあるそばに小さな手紙を残してきた。
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