●私の名前は、「明香」と書いて「サヤカ」と読む。両親が「明るく、優しい子になるように」と願って名づけてくれたこの名前を、私は誇りに思っていた。陸と付き合うまでは。
●私は大学を卒業して、外資系通信会社に就職した。入社して1年間は研修漬けで、右も左もわからない状態。たまに研修の合間に職場へいっても、テキストを読むだけの日々。この作業は、昼過ぎになると耐えがたいものがある。襲ってくる眠気に勝つために、私は、時々タバコを吸いに喫煙所にいった。
●喫煙所、通称タバコ部屋は面白かった。たむろしている人たちは、競馬、パチンコ、安い飲み屋…、仕事以外の話をしている。外資系というスマートな響きに惹かれて就職したが、実際は普通の日本企業と変わらない。かっこいい男が多いわけでもない。普通のサラリーマンのおじさんが大半。そんなことを気づき始めた頃、私は陸と出会った。
●陸は私の会社に契約社員の技術者として勤務していた。よくタバコを吸うらしく、私がタバコ部屋に行くと、よく顔を合わせた。
●最初、陸は私の先輩社員と話していたが、そのうちふたりだけでも話せるようになった。彼の第一印象は、「深い目」だった。すくっとした二重で、睫毛が長い。引き込まれてしまう力のある目。そしてなにより、男のフェロモンを感じた。無骨な指や、なんとなく香る匂い。私には大学時代からつきあっている男がいたので、つきあいたいと思うほどではなかったが、彼に惹かれていった。
●あるとき、陸が、
●「その字でさやかって読むの、珍しいよね」
●と言った。今まで何度も言われてきた言葉。でも、その後が驚いた。
●「俺の彼女も、その字でさやかって読むんだ」
●私は心底驚いた。この日本で、私と同じ漢字で、「さやか」と読む人、漠然とほかにもいるだろうとは思っていたが、まさかこんな近いところにいるなんて。
●しかも彼もその彼女も、私も、東京近郊の同じ都市の育ちなのだ。
●「へー。すごい偶然ね。同じ字で同じ読み方の人っているんだ」
●と私は答えたが、この人は「さやか」という名前を呼んでその女性を抱いているんだ、という思いが頭をよぎった。そう感じた瞬間、心の奥底にあるドアの鍵が、ことり、と音をたてて数センチ開いた気がした。
●私と陸が最初に寝たのは、よくある話だ。
●会社の同僚との飲み会のとき、一緒にいく予定だった先輩が仕事の都合で来られなくなり、たまたまふたりだけになったのだ。その帰りに、酔ったふりをして、彼と寝た。本当にあきれるくらいよくあるパターン。
●私は彼と寝たかったのだ。こんなふうに男性に対して欲望を感じたのは、初めてのことだった。
●そのとき、彼の「さやか」という名の彼女のことを考えなかったわけではない。でも、この人と寝てみたい、という気持ちのほうが強かった。
●「別に、彼女になりたいわけじゃないよ。 陸と一緒にいたいだけ」
●私はそう言って、彼と会う回数を重ねた。そのうち、彼は、
●「お前にハマッてきた。彼女とは別れる」
●と言うようになった。 |