FAnet FAnetとはFAnet会員登録お問い合わせサイトマップ
PS Online CanCam Online cyber Oggi Web Domani BITEKI.com Muffin-Net
LoveLaboratoryFAnetOnline Novels
img
vol.7 2004.06.10
ファザコン――30歳、美樹の場合
Novelization/笹倉 紫  Illustration/福田さかえ
FAnetオンラインノベルは、読者から送られた体験談をもとに書き起こした小説です。
あなたの投稿をお待ちしております。詳細はこちら
ライターの私が取材で出会った実業家は、私のファザコンを人目で見抜いた。それは口説き文句だったのか、私のほうが勝手に舞い上がったのか……、いずれにせよ、彼を知ったことで、私の生活は変わっていった。
12
フリーライターの私は、健康雑誌の取材で岡田と出会った。最近注目されている介護会社の社長インタビューというテーマで行った先に、岡田恵一がいた。
医療関係の取材をはじめてから間がない私は、介護業界に関する知識も不足していたが、岡田は面倒がることなく、初歩的な質問にもわかりやすく答えてくれた。40代半ば、ハンサムといってもいい容貌で、身長も180センチ近い岡田は、少しもオヤジくさくなく、いやらしい目つきで私を見ることもなかった。
予定の1時間を遙かに超えて2時間近くたち、ようやくひと通りの取材が終わった。挨拶をして帰ろうとしたとき、岡田は何を思ったか、こう言った。
「青木さんって、医療ライターさんって雰囲気じゃないね。辛気くさくなくて気に入ったよ」
岡田に一瞬、男の色気のようなものを感じた私は、突然胸がドキドキしてきて、あわてて社長室を辞した。
それから、約1か月後、私が書いた記事が好評だったと、岡田の秘書から連絡が入った。
「つきましては、社長がお礼にお食事にご招待したいと言っておりますが、お受けいただけますか?」
正直うれしかった。業界に力のある岡田社長に気に入られれば、仕事上メリットがあるし、岡田恵一そのものにも強い関心を抱いていたからだ。
招待されたのは、広尾の老舗フレンチ。有名レストランの中でも特にゴージャスで料金が高いことで有名な店だった。
ちょっと堅くなってテーブルについた私を、岡田は如才ない会話でくつろがせてくれた。メインが下げられてデザートになるころ、岡田がまた唐突に言った。
「青木さんって、ファザコンだったんだね」
びっくりした。そんな話をしただろうか。確かに親のことを少しは話したけれど、あたりさわりのないことばかりだったはず。岡田ほどの経験があると、あれだけで人の性行がわかってしまうのか?
「ははは、びっくりしたかい? でもね、ぼくはファザコンの女性を見ていると安心するんですよ。この人は男性を見る目が厳しいが、でも男性が嫌いじゃないって」
あれは一種の口説き文句だったのかもしれないと、あとになって思う。私は、その言葉で岡田に心を許し、次に誘われたとき、すべて語ってしまっのだから。
私は確かにファザコンだ。でもそれは実態のないファザコンだ。
父は5歳のときに、私と母を捨てて失踪した。それ以来、私は父に会ったことがないし、父が何をしているかもまったく知らない。死んでいるのかもしれない。父に捨てられた母は、それでも父を愛し、父を尊敬しつづけていた。
「お父さんはすばらしい人。すばらしい天才芸術家。芸術ゆえに私たちを捨てたけれど、それは運命なの……」。
セピア色の写真に写った若い頃の父親を見せながら、私にそう語った。
おかげで私は、失踪した父を恨むことなく成長した。そればかりか、早く親を失った子がそうであるように、父親のイメージは私の中でどんどんよきものになっていった。もしお父さんがいたら、こんなふうだろう、あんなふうだろう、私にとっては、父親こそが白馬の王子さまだったのだ。
岡田は、フレンチレストランでの食事の2週間後に、今度は自分で直接、私の携帯に電話をしてきた。
「なんだか、青木さんに会いたくなってね。それに仕事のことで、ひとつお願いもあるんだけど、また食事に誘ってもいいかな」
もちろん承諾した。今度は湯島の小料理屋。約束の10分前に店につくと、女将がいちばん奥の部屋に案内をしてくれた。障子をあけると、岡田はすでにビールを飲みながらくつろいでいた。
私はどこかで決心していたように思う。岡田がグラスにビールを注いでくれたとき、「この前の続きなんですけど」と切り出した。
「先日、岡田さんは、私のこと、ファザコンっておっしゃいましたよね。あれって、わたしにとっては禁句だったんですよ」
岡田は真顔の私に驚いたように、身を乗り出して、
「もしかして、ぼくはこの前、青木さんを傷つけてしまったのかな。だとしたら…」
私は、岡田を遮った。
「いえ、いいんです。謝っていただくことはありません。でも、岡田さんは私の本質を見抜かれたんですから、最後まで聞いていただけませんか?」
岡田は居ずまいをただして、「わかりました。他ならぬ、青木さんのことです。ぼくはぜひ聞かせていただきたい。もちろん他言しません」
それは、想像通りの反応だった。こうして私は、父を失って25年、心の奥にしまい続けた思いを、初めて他人に語ったのだ。-
その小料理屋の料理は、趣味のよい岡田らしく繊細な薄味で、これまで味わったことがないほどおいしいものだった。が、それも中ほどまで。途中から私は、女将が出入りするのも気にせず、涙をボロボロ流しながら話していた。
私が話し終わったとき、岡田は言った。
「ぼくに話してくれてありがとう。青木さんの心を知ることができて、ぼくはとてもうれしい。青木さんもぼくに話すことで、少しでも心がゆったりできたならうれしいけれど」
私は感極まって、岡田の胸に飛び込んだ。
その夜、30歳の私は18歳年上の岡田に抱かれた。
こうして始まった私と岡田の関係だが、互いに忙しく、逢瀬はせいぜい1か月に1回程度。だが岡田の人脈のおかげで、私は医療ライターとしてのキャリアをどんどん積んでいった。岡田の紹介で取材に向かうとき、私は、岡田に見守られているような安心感を感じ、それが幸いしてか原稿の出来もよく、ライターとしての評判もあがっていった。
岡田はときどき、ブランドものの高価なバッグをプレゼントしてくれた。私の持っている服には似合わないほど優雅なバッグ。1年間つきあったとき、そんなバッグが4つほど手元にあった。
収入も増えたことだし、ちょっと奮発して、このバッグに合うような服を買おうと思い立った。いつもより、ちょっとおしゃれをして、そのバッグのブランドの直営店に向かった。
こんな高級ブティック、慣れていないことを隠したところですぐにバレる。それくらいなら正直に言おうと、店員に、「あのう、このバッグに合うような、上下が欲しいんですけど」と切り出したら効果覿面だった。
「あらぁ、うちの最高級のものをお持ちなんですね。どうぞ、こちらにお座りください。いま、見つくろってまいります」と、慇懃に奥のソファに案内された。
高級ブティックのめくるめくようなファッションやアクセサリーに幻惑された私は、自分自身をあたらめて見直した。
スタイルは悪いほうではない。美容ライターをしている友人からは、「顔立ちはいいんだから、もっとうまく化粧すれば美人になる」と言われている。私も、ちょっと工夫すれば、街で男たちがふりむくようなイイ女になれるかもしれない…、そんな誘惑の声が聞こえてきた。
高級ブティックで上下あわせて30万円を散財。もちろん生まれて初めての経験だった。ブランドのロゴが描かれた大きな紙袋を下げて、デパートのコスメフロアへ向かった。なんだか、いつもとは店員の扱いが違う。これがブランド効果というやつ? 私は明らかに舞い上がっていた。
次のページへ
みなさんの恋愛体験談を募集しています!詳細はこちら
ラブラボTOPページへ
小学館雑誌定期購読和楽庵女性セブンブックギャラリー私さがしの占星学Privacy pollicy
このサーバー上のデータの著作権はすべて小学館が保有します。 掲載の記事・写真・イラスト等のすべてのコンテンツの無断複製・転載・放送等は禁じます。