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vol.10 2004.07.01
母親の愛人――26歳、美奈の場合
Novelization/笹倉 紫  Illustration/福田さかえ
FAnetオンラインノベルは、読者から送られた体験談をもとに書き起こした小説です。
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男を受け入れるとき、私は自分がオンナであること、男を魅了していることを実感して勝利感にひたる。でも、達也は、私をオンナとして見ていない、見てくれない。きっちり私との間に距離をとっている。初めて感じる歯がゆさだった。
社内で密会するには格好の地下の資料室。いつものように目の合図を受けてやってきたら、すでに彼はそこにいた。いつになく重苦しい顔。
「実は、嫁さんにバレたんだ……」
思いがけない言葉に一瞬うろたえたが、すぐに平静さを取り戻して言った。
「しかたないね、で、別れたほうがいいの?」
私のあっさりした言葉が、意外だったようだ。彼はうつむいて、少し考えてから、
「僕は美奈に対して、真剣に向き合っていたんだよ」と言った。
ウソ! 私はマジな目的があってあなたとつき合ってたんじゃない。あなただって同じはず。この男は、いったい何を言い出すのか。
「だって、私たちって抱き合うだけの関係でしょ? あなたに奥さんも子供もいるってことは、こうなる前からわかってたんだし」
「でも、あのころから、もう嫁さんとは上手くいってなかったんだよ。だから…」
「だからなんなの? 離婚して私と結婚したいとでも思っていたの?」
「いや、そうはっきり言われると…。でもキミといると心が安らいだし、キミもボクのこと、愛してくれてるみたいだし、そうなるといいかなとは…」
嫁さんにバレたといったその口で、平気でこんなことを言い出す男の神経ってなんだろう? この男は、私が、ほんの少しでも自分に夢中になっていると信じていたのだろうか。体だけを求め合う気楽な関係だからこそ、その場かぎりの優しさを思う存分発揮できるということを知らないのか。自分でもそうしていたくせに。
「なにを言っているのよ、私と同じ部の山崎茜ともつきあっているでしょ。知らないとでも思っていたの?」
彼は困惑して、黙りこくった。
「うぬぼれるんじゃないわよ、私が求めていたのは気晴らしだけ。ややこしいのは嫌いだから、もうやめるわ。じゃね」
私は、さっさと資料室を出ていった。
ほとんどの男は、セックスを許すと、この女は自分を愛していると思いこむ。加えて不倫関係だと、こっちの優しさを「結婚したい合図」と思いこんで、勝手に優位にたつ。女だって男と同じように気晴らしで付き合うことも、好奇心で寝ることもあるのに、どうしてわからないんだろう。
私が物心ついたとき、父親はすでにいなかった。母は、駅裏の路地にある小料理屋をやりながら、私を育ててくれた。
母は、きっと寂しかったのだろう。なにかというと、客を店の2階に連れ込んだ。店を締めた12時過ぎ、隣の部屋で寝ている私のことなどおかまいなしに、母は、艶かしい声を出していた。でも、私は長い間、その声の主が母だとわからなかった。
中学1年の夏の夜、母が階下の店で働いている時、2階の茶の間でTVを見ていたら、店の常連の男が突然襲ってきた。最初は何をされるのかわからなくて恐怖に包まれたが、事後、痛くて悲しくて泣いていたら、その男が優しく抱いてくれた。男の胸も腕も頼もしくて気持ちいい。初めて体験する心地よさだった。
次の回には、私も見よう見まねで男に応じた。男は私のことがよほど気に入ったのか、毎晩のようにやってきて、母が閉店後の片づけのために男を待たせている間、私を抱いた。
母の相手は、だいたい数か月ごとに変わっていったが、母と寝る男はほぼ例外なく私も抱いた。私が幼いなりに、男を誘っていたのかもしれない。
私が大学に入学したころ、母はひとまわり以上も年下の達也を連れてきて、「新しいお友達なの」と私に紹介した。それまでの男と同じ紹介のしかただったので、そういう関係だとわかったものの、その若さには驚いた。達也のほうは、私を見る目が後ろめたそうだった。
達也は週に1、2度店に訪れて泊まっていったが、私を抱こうとする気配は全くなかった。母親が仕事を終えるのを待っている間、静かにTVを見ていた。ジャージでくつろいでいる姿は、誰の目にも、母親の愛人というよりは私の彼氏と見えただろう。冷蔵庫から缶ビールを取り出して渡すとき、誘惑するように声をかけると、
「僕みたいなおじさんをからかうんじゃないよ」と言う。
達也は、私をオンナとして見ていない、見てくれない。きっちり私との間に距離をとっている。初めて感じる歯がゆさだった。
その歯がゆさはずっと続いた。なぜなら、達也をきっかけに母親の男遍歴が終わったからだ。ふたりの関係が正確にどういうものなのかは今も知らないが、少なくとも今も達也は母親の愛人であり、なにかの事情でしばらく来なくなることはあっても、ここ数年間、週に1回は泊まりにきている。
大学時代は切れ目なくボーイフレンドができて、ごく一般的な学生生活を送った私だが、いつも頭のどこかに達也への敗北感があった。
社会人になると、言い寄ってくるのは、ほとんど妻帯者になった。以前、母親の男が、「美奈ちゃんには、大人の男が引きつけられる不思議な色気があるんだよ」と言っていたが、子供時代の体験が、年の離れた男を見る目に影響しているのかもしれないし、父親がいなかったせいかもしれない。周囲の独身の男は、どうもわたしを遠目に見ている感じだし、私のほうも頼りなく思えて敬遠してしまう。
男の体を受け入れるとき、私は自分がオンナであること、自分が男を魅了していることを実感し、勝利感にひたる。その余裕で相手を求め、それがまた男を喜ばす。
私にとってセックスとはそういうものだ。
ただひとつ、喉に突き刺さった小さな魚の骨のように、達也への敗北感だけはしっかり残っていた。私との間にとった距離をしっかり守って、私が少しでも距離を縮めようとすると、やんわりと、しかし断固として拒絶する。
達也が振り向いてくれない限り、オンナとして100%の勝利は得られない。それに達也への敗北感は、母親への敗北感でもある。私は、未だにオンナとして母親に勝てていない。
資料室から職場に戻った私は、いたずら心をだして、斜め正面に座る山崎茜に、「あいつ、奥さんに浮気がバレたみたいよ」と耳打ちした。戸惑う山崎茜。彼は、彼女とは続けるんだろうか。まあ、どっちでもいい。もう社内不倫は潮時だ。どうでもいい男との気晴らしも飽きてきた。
今夜は実家に帰ろう。金曜日だから、きっと達也が来ているはず。で、どうするのかって? セックスはなくても達也は頼りになるし、触れることさえできなくても達也の言葉は優しく私を思ってくれている。
それがたとえ年若いお父さんのようなものであっても、私には、今、いちばん必要なものなのかもしれないと、ふと思った。
Fin
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