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vol.11 2004.07.08
ふたりの男──29歳、小百合の場合
Novelization/笹倉 紫  Illustration/福田さかえ
FAnetオンラインノベルは、読者から送られた体験談をもとに書き起こした小説です。
あなたの投稿をお待ちしております。詳細はこちら
「小百合と関係を続けたいが、結婚は無理ってことを、言いたかった」
そう言われて初めて、私は、自分が無意識に彼に結婚を迫っていたのだろうかと自問した。そんな自覚はなかったけれど、働き始めて8年、仕事にも飽き、一人暮らしにも飽きていた私は、無意識に結婚を迫るオーラを発信し続けていたのかもしれない。
「それでは宿帳へ記入をお願いします」
格子戸の奥にある大きな暖簾をくぐった先のロビーは、外観とはうってかわって、お洒落なシティホテルのしつらえだった。
「わ〜、雑誌で見た通り素敵な宿ね〜」
座り心地の良いソファーの上で、子供のようにはしゃぐ私とは反対に、彼は照れくさそうに宿帳にペンを走らせていた。先週、初めて言葉を交わした時と同じ顔をしている。
モダンな作務衣を着た仲居さんに、「もしかして新婚さんですか?」と問われると、彼は、思わずペンをとめ、顔を赤くしてうつむいてしまった。彼を見ているうちに、私はいつもの気取りを忘れて、どんどん自由になっていくような気がした……。
4つのときに両親が離婚した私は、母の女手一つで育てられた。私に恥ずかしくない教育を受けさせたいと、毎日働きづめだった母の唯一の楽しみが、化粧品だった。母は、毎月、お給料日の翌日に化粧品売り場でメークをしてもらい、化粧品が入った紙袋を抱えて笑顔で家に帰ってきた。子供の私には、その日の母が、女優さんにも負けないほどの美人に見えたものだ。
幼い私は、「大きくなったら女の人をキレイにする仕事をしよう」と心に誓い、短大を卒業して夢を叶えた。化粧品会社のビューティアドバイサー、つまり化粧品カウンターで働く美容部員になったのだ。
しかし夢と現実は違った。ビューティアドバイザーの実態は売り子。ノルマがあり、立ち仕事だから肉体的にもきつい。しかも職場は、噂や悪口が渦巻く女の園。夢をかなえたあとの私は、キャリアを磨いてステップアップする勇気も、結婚退職するきっかけも持てないまま、平々凡々と8年間働き続けていた。
8月の定休日の前日。隣のカウンターで働く真子が、「さっき、割引券もらったんだ。今晩、飲みに行こ!」と、誘ってきた。お互いに酒好きで、彼氏いない歴も1年以上という共通点で、最近は彼女とふたりで飲みにいくことが多い。この日も、そんないつもどおりの憂さ晴らしのつもりだった。
割引券は、職場近くに新装オープンした居酒屋のものだった。仕事がひけてからふたりで行ってみると、店は割引券を持った客でごった返していた。
「相席になりますけど、よろしいですか?」
テキパキと客をさばく店員に、掘りこたつの席に案内された。相席の先方は男の二人連れだった。期待を感じながらメニューを眺めていると、案の定、彼らから声をかけてきた。私たちが化粧品会社に勤めていると自己紹介すると、私の真横に座っている石田と名乗った男が、
「キレイな女性に知り合えてうれしいよ」
と、如才なく返してきた。シングルの細身のスーツが似合う、端正な顔立ち。私は一目でその顔に惹かれてしまった。この男をどうしても手にいれたい、久しぶりの一目惚れに、私は多少舞い上がっていたと思う。酔ったふりをしてかわいい女を演じ、別れるまでに石田の携帯の番号を手に入れた。が、翌日、彼のほうから電話があった。つきあいが始まった。
石田は外資系アウトソーシング会社の営業に勤務している。自分が抱えている仕事をコントロールでき、反面、時間は不規則。平日に休みがある百貨店で働く私とは、お互いに都合が良かった。彼は毎日頻繁に電話かメールで連絡をくれた。
今までつきあった男たちは、せいぜい週に一度、多くて二度連絡くれる程度で、話す内容も味気なかった。それが、石田はまず私の体調を気遣う。くだらない冗談で笑わせてくれる。さらに気の利いた世間話とデートの約束。彼からの連絡が楽しみになり、私は急速に石田にのめり込んでいった。
といっても、熱情はそれほど長くは続かなかった。石田とのデートは最初の1、2回こそ映画やコンサートに行ったが、その後は、飲んだあと私の部屋でSEXという繰り返し。3か月もたつと、私は飽きてしまったのだ。
そんなとき、たまたま雑誌に載っていた温泉宿の紹介記事を見て、衝動的に電話をするとすぐに予約がとれた。しかも、予約日は私の誕生日で百貨店の定休日。私は小躍りするように、石田に電話を入れた。
「報告したい事があるの。今夜、空いてる?」
すると彼は、
「うん、僕も君に話したい事があるから」と、誘いに乗ってきた。何の疑いもなかった。ただ、彼に温泉の予約が取れたことを伝え、一緒に行こうと言いたいだけだった。
初めて出会った居酒屋に、3か月ぶりに行った。出会った頃は、季節のオススメメニューにザル豆腐と書かれていたのが、今は湯豆腐コース。あの頃の気持ちが蘇り、もっと彼を知りたいと思った。温泉で一晩過ごせば、それができる…と。
ところが、石田が先に話し始めた。
「小百合、今まで言ってなかったことがあって…」
彼の顔をみると、ひどく話しづらそうにしている。
「え? どうしたの?」
顔を覗き込むように問いかけてみた。
「ゴメン! 実は結婚している」
彼は突然、開き直ったように告白した。結婚しているって? あなたが? 彼のせりふを反芻すると、一瞬で頭が真っ白になった。酔いがさめた。
「本当にすまない。実は、嫁さんに子供ができたんだ」
「それって、どういう意味なの?………」
私は、何かしゃべらないといけない気がして、それだけ口に出したが、そのあとは続かなかった。彼の言葉も聞こえなくなった。そして、彼が昼間のデートを断るときに言った言い訳の数々が、頭の中によみがえってきた。
あれは全部ウソだったのか。仕事だと言っていたあの日は、妻と子供と過ごしていたのか。実家がどうのといっていた用事もウソだったんだ。言い訳を続ける彼のスーツを見れば、シワの具合、Yシャツのノリの具合、確かに一人暮らしの独身男のそれとは違う。背後に妻が控えている余裕、清潔感。それが、今まで、私には全然見えていなかった。愕然とした。
「今まで通り、小百合と関係を続けたいが、結婚は無理ってことを、言いたかった」
そう言われて初めて、私は、自分が無意識に彼に結婚を迫っていたのだろうかと自問した。そんな自覚はなかったけれど、働き始めて8年、仕事にも飽き、一人暮らしにも飽きていた私は、無意識に結婚を迫るオーラを発信し続けていたのかもしれない。
彼が結婚していることを見抜けなかった自分と、結婚を迫っているように思われた自分、このふたつの自分は、たまらなくみじめだ。もう何も言えない。何かゃべればもっとみじめになる…。プライドがこなごなになる。私はうちのめされ、黙って、彼を見ずに店を出た。
我慢していた涙がとめどもなく流れてきた。
いったいどこをどう歩いたのか。気がつくと、以前よく通っていたバーの前にいた。重い鉄製のドアを開けると、カウンターの奥で、ゲイのマスターと常連らしき男性客が話していた。ゲイのマスターは私の姿を見るなり、笑顔で言った。
「もう! やっと小百合ちゃん来てくれたわ! 奥に座っている彼、保田さんって言うの。ずっと小百合ちゃんのこと、気になって通い続けていたのよ!」
突然の展開に困惑しながら、私は真ん中あたりの席に座った。奥に保田とおぼしき小柄な男性がいる。軽く会釈をすると、その男は深々と頭を下げてきた。
マスターが注いでくれた生ビールを一口飲んでから、涙で崩れたメイクを直しにトイレに立った。小さな鏡に映った自分の顔。私を待っている人がこんなところにいたのかしら、と思うと、心が少し静まってきた。
トイレから出ると、マスターは新しく来た客の相手に忙しく、奥の保田は静かにロックを飲んでいる。私は、保田に近い席に座り直した。
「初めまして。保田と言います」
「こちらこそ初めまして。横田小百合です」
「僕、バーボンが好きで飲んでいるんですが、小百合さんは、どんな酒が好きなんですか?」
「好きなお酒? お酒は好きだけど、味がわかるほうじゃないんです。バーボンとかウイスキーの味はよくわからなくって…。ごめんなさい」
「いえいえ、そんなこと、あやまってもらっちゃ……」
保田は消え入りそうなほどに照れて、頭を下げてしまった。風采のあがらないという言葉がびったりの三十男だが、反面、人の良さと誠実さがにじみ出ているような笑顔だった。
「あの、唐突ですいません。でも…、もしかして、来週の水曜って忙しいですか?」
私は初対面の保田を、予約した温泉に誘ってみた。誕生日はひとりで過したくない。ただそれだけの理由だった。しかし保田は、理由も何も聞かずに、
「誘ってもらえてうれしいです」
と笑顔で答えてきた。私に、人のいい男をひっかけようという気持ちがなかったとは言えない。
そして今、その保田とともに、私は瀟洒な温泉宿にいる。
石灯籠の灯りを頼りに仲居さんに案内された部屋は、思いのほか広く、床の間の花のあしらいもこじゃれていた。思いつきで予約した宿の予想外のよさには内心驚いていたのだが、保田に対しては、自分の趣味のよさを誇る気持ちがあった。
「わあ、おいしい。こういうのがホントの素材を生かした料理よね。趣味がよくって薄味で、こんなにおいしい和食、私、初めてかも!」
宿自慢の懐石料理は掛け値なしにおいしかった。私は、食欲のままに料理を味わいながら、どんどん自由になっていくような気がしていた。
「僕、あんまり、味、わからないけど、おいしいですね」
そう、野暮ったく言う保田といると、プライドや見栄のために言葉やしぐさを選ぶのが、ばからしく思えてくる。言いたいことを言い、したいことをしていればいい。人の目を気にして、自分を飾ったりごまかしたり、そんなの面倒!と、心の底から思えてくる。それは安心感であり、肩の荷が下りるような開放感。仲良しの真子といたときにも感じたことがない安心感だ。
私は目の前の保田を忘れて、自分の心と話し合っていた。
あのことがなければ、私は石田と一緒にこの宿に来ていたはず。でも、石田と一緒ではこうはいかなかっただろう。私は、あの端正な顔の石田にとても気を遣っていた。いつも、どこかで、彼のしたいことを優先させなくちゃと思っていた。
でも、なんでそんなふうに思っていたんだろう。私って、そういうふうに思いやすいたちなんだろうか。もしかしたら、いつも父親のワガママに気を遣っていた母親と同じようになってたのかも。今まで気づかなかったけど、母親が離婚した理由は、こんなところにあったのかもしれない。そうだ、今度、母に会ったら聞いてみよう。
ふと我に返ると、保田はもくもくと食事を続け、ほとんどの皿をカラにしていた。
食事をすませて、浴衣に着替えて露天風呂に行った。月がお湯に照らされるのを見ながら、ひとりのんびりと、誕生日の時間が流れるのを楽しんだ。
私は29歳になった。8年間の垢を温泉のやさしいお湯が落としてくれる。
半乾きの髪で部屋に戻ると、二つの布団が並んで敷かれていた。その横で保田がソワソワしている。私は冷蔵庫からビールを取り出し、グラスを渡して彼をくつろがせようとした。保田のグラスにビールを注いでいると、保田は、突然正座をして話し始めた。
「マスターが言った通り、僕、本当に、小百合さん目当てで、バーに半年以上通っていたんです。
だから、勢いだとわかってても、温泉に誘われたのがすごくうれしかったんです。
でも、でも、今夜は別々に寝ましょう。
できたら真剣に付き合いたいと考えています。
ここまで待ったのだから、あなたの気持ちがちゃんと整理できるまで、待っていたいんです」
言葉のたどたどしさが、保田の真心を表しているように思えた。話し終えて下を向き、じっと黙って正座している保田を見て、私は涙があふれてきた。悲しいときの涙とは違った。温かくて、優しくて、私を包んでくれるような涙。
涙をふいて、彼に「ありがとう」と言った。彼はいまだ少しも私に触れていないが、私の心に触れ、私の心の奥のほうを温めてくれた。
29歳の誕生日。私は、人生で大事なものについて、少しばかり理解を深めることができたのかもしれない。
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