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●彼氏との旅行から帰ってきた私は、荷物を家において、おさななじみの健一のところに飛んでいった。
●「けんちゃん、この私が侮辱されたのよ。男から、生まれて初めてバカにされたの!」
●健一の部屋に入るなり、私はわめいた。でも、いつものことだから健一は動じない。パソコンに向かって最後のキーを打ってから、私のほうを振り返った。
●「すうこ、すごい形相だ」
●「だって、あいつから商売女呼ばわりされたんだよ」
●「あいつって、例の、結婚しようと思ってると言ってた男?」
●「そう、中園啓介…」
●健一のやさしい顔を見ると、張りつめていた気持ちがふうっとほどかれて、涙が出てきた。私はいつだって健一に慰めてもらわなくちゃ立ち直れない…。 |
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●幼いころから、何かあると健一のところに行ってグチってきた。母親同士が親しく、物心つく前から一緒に遊んでいた健一は、私にとって、誰よりも遠慮がない兄貴であり友達であり、さらに成長してからは先生でもある。
●健一は、小学校のころから理数系の天才と言われ、周囲が色気づく年ごろになっても、ひとり別格の男の子だった。言い換えれば究極のオタク的存在であり、女の子にはとても恋愛対象には見えない存在。だから都合がよかったということもある。
●もちろん、私もかつて一度も、健一を異性として見たことはない。しかしこの理数系の天才は、大学在学中に書いた論文が学会で認められたころから、哲学者か宗教家みたいな賢者の雰囲気を漂わせ、私にとっては最高の相談相手になった。
●わがままで派手好きで男好きで通っている私が、彼の前でだけは幼な子のように素直になれる。彼の前ですべてを語り、彼の言葉を聞いていると元気がふつふつと湧いてくる。
●このときも、中園啓介との沖縄旅行2泊3日のいきさつをすべて健一に話した。2日めの夕食まではるんるん気分だったのが、その夜、ベッドで突然、
●「いつも男の金で遊んでいるんだから、もっとサービスしろ」と言われてびっくりしたこと。聞き間違いだと思って受け流していたら、たたみかけるように、「三十近くになってわがままばっかり言っているんじゃない」とか、「風俗の女だって、もう少しは色気がある」と言われて、まるで犯されるようにセックスをしてしまったこと。常に男の優位に立ってきた私には、生まれて初めての屈辱だったのだ。
●28歳になったとき、私は男選びを遊び目的から結婚目的に変更した。そして苦節1年、ようやく見つけた最高の条件の男が中園啓介だったのに…。条件とは、もちろん容姿、学歴、経済力、そして次男でありかつ実家に財産があること。さらに半年つきあって、少しおもしろみに欠けるけど性格は温厚で操縦しやすそう、だから夫としては合格!と考え、私は、今回の沖縄行きを勝手に婚前旅行とみなしていた。
●ところが、結果は操縦しやすいどころの話ではなかった。女として最大の屈辱を味わわされたのだ。 |
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●私がひととおりを話し終えると、健一が静かに言った。
●「すうこが、これまでと、ちょっと違ってたんじゃないか?」
●「私のせいだって言うの? でも、私がわがままなのは今に始まったことじゃないでしょ」
●「そうじゃなくて、今度こそ結婚したいって言ってただろ。だから、すうこの態度に、どこか相手におもねるところがあったんじゃないかと思うんだ」
●「おもねる? 気に入られようとしてたってこと?」
●「そう。これまでのすうこは、その場その場を楽しめればいいって感じだっただろ。それが結婚の2文字が頭に浮かんで、ちょっと変わってきたんじゃないかなあ」
●「それとなく、結婚の方向へ持っていこうとか?」
●「そう、これまでのように純粋なわがままだけじゃなくて、結婚への期待がすうこの態度を微妙に変えた。相手は、それに敏感に反応したんじゃないかという推測ができる」
●「そんなこと思ってもみなかった」
●「すうこだって、はたちやそこらの女の子のように、素直に“結婚したい”なんて言わないだろ。でも相手だって、もういい年なんだから観察力はあるよね。うすうす、すうこの内心がわかって、優位に立ったんじゃないかな。こいつ、押せばもっと言うこと聞きそうだぞって」
●「私の上に立とうと思ったってこと?」
●「うん、すうこみたいなわがまま女を従わせるのは、男にとって、なかなかの快感だからね」
●「健一も?」
●「オレ? オレもあるかなあ。自分じゃよくわからないけど、たぶんあるんだろうなあ」
●健一の話を聞いていると、なるほどそうかと思えてくるから不思議だ。決して私の味方になってくれているわけでもないのに、なぜか鎮静効果がある。私は、中園との関係、接し方を、もう一度冷静に考え直してみようと思った。 |
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●翌日、出社した私は、中園と別れるか続けるか、そればかり考えて仕事が手につかなかった。そこで、これも健一に相談しようと思い、半休届けを出して健一が勤める大学に押しかけた。
●健一の研究室は、都心から電車で一時間の緑ゆたかなキャンパス内にある。コンピュータやわけのわからない機械があふれ、ちょっと動けば機械の角でケガをしそうな味気ない部屋だ。
●しかしこの日は、研究室の中からかわいらしい笑い声が聞こえてきた。一瞬ノックするのをためらっていたら、ドアが開いて女性が出てきた。
●「あ、すみません。高津先生のお客様ですか?」
●背の高いキレイな女の子だった。しかも殺風景な研究室にはふさわしくないほどの流行ファッションに、身を包んでいる。
●「あ、そうなんですけど…。高津先生はこちらですか?」
●「はい、先生、お客様ですよ。じゃ、失礼します」
●そういって女の子が出て行った後、部屋の中の健一に目を向けると、おそろしく気まずそうな顔をして、突っ立っていた。
●「突然押しかけてきて、ごめん。でも、忙しそうじゃないわよね」
●「あ、うん」
● 健一はあきらかに狼狽していた。でもなぜ? あの女の子のせい?
●「教え子?」
●「う…うん、いや、今は違う、去年まで教えてた」
●「じゃ、今は何?」
●「……」
●「まさか、恋人?」
●「いや、そういうんじゃなくて…」
●「好きなのね?」
●「えっ オレが?」
●そこには初めて見る健一がいた。女っ気ゼロだったはずの健一が恋をしている。わざわざ問いたださなくても、私には、一瞬ですべてが飲み込めた。
●「そうか、けんちゃんも、ついに恋をしたんだ…」
●嘘のつけない健一は黙り込んでしまった。私を前にして完全に固まってしまっている。私と、恋する女の子がはちあわせをしたことで、冷静な健一が正気を失ってしまうとは…。
●「ごめん、実は、昨日のことで、もう少し話したいと思って来たんだけど、やっぱり今度にする。じゃあね」
●私は、それだけ言って立ち去った。そうするしかなかった。
●私は、健一以上にショックを受けていたのだ。 |
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●健一が恋をしている…
●この事実は、私に、中園との一件を忘れさせるに十分な衝撃を与えた。しかも時がたつにしたがって、より深く私を悩ませていった。何せ、相談する相手がいない。私は誰にも話せず、ただひとり沈み込んだ。わがままで派手好きで男好きな私が、おしゃれすることも遊ぶことも男の品定めをすることも忘れて、何をどう考えたらいいかわからないという暗闇の中に落ち込んでいる…。
●私は健一を好きなのか? 愛しているのか?
●この問いになんと答えを出せばいいのか、さっぱりわからないのだ。だって、健一とセックスしたいなんて思わない。結婚したいなんて思わない。他の男に対するようにからかって遊びたいとも思わない。
●でも、健一が私の目の前から消えるなんてことは絶対に考えられない。私にとって健一は、誰よりもなくてはならない存在、これだけははっきりしている。他の男とは違って、健一には代わりがいないのだ。
●これを愛していると言えるのかしら? 私が健一を愛しているって?
●でも、たとえそうだとしても、今、健一は若い女の子に恋をしてしまっている。私が、今さら、「あの子のことはやめて」なんて言えるわけがないし、言ったところで、彼のうぶな恋心を変えることはできないだろう。 |
●もうすぐ三十の私は、人生最大の危機に陥ってしまった。毎日毎日、同じことを自問自答し、考えはぐるぐる回って、いつも同じところで止まってしまう。悩みのメリーゴーランドに乗っている気分。遊び好きの私なのに、気をまぎらすすべさえ忘れて、「すうことけんちゃん」という難題の前でしぼんでる。
●「ねえ、けんちゃん、私、どうしたらいいの?」
●毎夜、夢の中で、私はもうひとりの健一に相談している…。 |
……後日談……
●上の体験談を書いてから半年たち、私とけんちゃんは、以前のような関係を取り戻しました。といっても、私は三十歳になり、結婚しないまま中園啓介との中途半端な関係を続けています。けんちゃんはあの若い女の子に片思いのままのようです。だから以前のような関係とはいっても、奥歯に物がはさまったような感じは否めません。
●でも、いくら考えても、この状態を解決する方法は思いつかないから、時間が解決してくれるだろうと思うことにしました。中園啓介と結婚するのはやっぱり不安だし、けんちゃんの見た目が、中園啓介くらいセクシーだったら、強引に迫って結婚しちゃうだろうと思いますけど、そんなことあるわけないし。
●「女の三十代、焦れば焦るほど老けるよ」って、職場の先輩が言ってました。そんなもんかなと思って、私らしくなく消極的な毎日です。これが二十代とは違う、女の三十代なんでしょうか? |
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