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vol.19 2004.09.09
貢ぐ女――良美の場合
PART1 彼のためならなんでもできる
Novelization/笹倉 紫  Illustration/福田さかえ
FAnetオンラインノベルは、読者から送られた体験談をもとに書き起こした小説です。あなたの投稿をお待ちしております。詳細はこちら
“超カッコイイ”と一目惚れしたギタリストに唇を奪われ、私の人生は一変。メジャーデビューをめざす彼とともに東京へ行き、彼を支える生活を始めた‥‥
私の19歳〜27歳の8年間、普通の人から見たら、男のために身を持ち崩した8年間でした。
今は、まじめ一方の主人と平凡な家庭を営んでおり、主人には絶対に告白しないと封印した過去ですが、誰かが聞きたいと言ってくれるなら話してみたいという気持ちが、どこかにあります。女として生まれて、あれほど一生懸命に男を愛することができたということに、ある種の誇らしさと満足感を感じているからかもしれません。長くなりますが、よかったら聞いてください。
進学する短大が決まり、高校の卒業式を間近に控えた早春、私は、友人に連れて行かれたライブハウスで彼を知りました。「地元で一番実力があるバンドのギタリスト、ルックスも女の子に人気上々」と、店の常連になっていた友達が紹介してくれました。私は、彼と面と向かった瞬間、そのルックスに心を奪われてしまいました。
細身の長身で、まっすぐの黒い髪が肩まできていて、彫りが深く、切れ長の目がかわいい童顔。すそがほつれたTシャツとジーンズの間からちょっぴりおなかが見えていました。まだ子供だった私は、無邪気に“超カッコイイ”って思ってしまったのです。
しかも彼は、挨拶もそこそこに「ちょっと」と言って私の腕をとって楽屋へ向かい、強引に私の唇を奪ってしまいました。初めてのディープキス。彼が、「一目惚れだよ、オレ」と言ってくれたとき、私はトロトロに溶けてしまいました。
短大入学と同時に、私たちは彼のアパートで同居を始めました。でも、昼間は土木現場で働き、夜はライブか練習という彼と、短大に通いながらファミレスでバイトする私が、ふたりでゆっくり過ごす時間などほとんどなく、何がなんだかわからないうちに1年が過ぎていきました。
翌年の5月、突然、彼が「東京に行く」と言い出したんです。東京のプロデューサーが「東京のライブハウスでやってみないか」とすすめてくれたので、仲間とともに東京行きの準備を始めたって。私には「どうする?」と一言だけ。私は即座に、「一緒に行く」と答えていました。
7月の暑い日、先に東京入りしていた彼のもとに向かいました。彼が契約したアパートは、東京といっても渋谷から電車で1時間近く、さらに歩いて30分の郊外にありました。彼とバンド仲間は、プロデューサーの紹介でバイト先も見つかり、一応生活していく基盤ができていたけれど、私には東京にひとりの知り合いもいません。彼をわずらわせたくなかったので、アパート近くのファミレスで時給900円、休みなく毎日10時間働いて生活費にしました。
短大はどうしたかって? ほうっておきました。休学届けも退学届けも出していません。アーティストの女だもの、そんなこと気にしないって! そんな気取りもあったような気がするんです、あのころは。
東京に行ってからの彼は、ほんとうに一生懸命だったと思います。でも、寒くなるころになっても、いい話を聞くことはできませんでした。何度かシモキタでライブをやって、私も聴きに行ったのですが、お客の反応はあまりよくなかった。例のプロデューサーは、「君たちが進みすぎているからだ」なんておだててたけど、今思えば、そこそこうまくてルックスがいい、どこにでもいるバンドだったってことでしょう。
それでも彼は、「東京に来たからには、絶対にメジャーデビューする」と強く思っていました。ほかの仲間は「そろそろあきらめて、帰らないか」って感じだったから、焦ってもいたんでしょう。孤軍奮闘、レコード会社への売り込みに必死でした。もしかしたら、あのプロデューサーにだまされてたのかもしれないけど、売り込みのためにはお金がいるって。しかも昼間、売り込みのためにバイトができないでしょう。「今日10万円必要だ」「CDデビューには300万円ほしい」「借金先はどこかないか」って、私の前で言うのは、お金のことばかりになってしまいました。
そんな追いつめられた彼を見て、私は、“最後のひとりになっても彼の味方でいよう”と思いました。そして、彼を助けるには水商売しかないと決心した。新宿のクラブに面接に行き、翌日から働くことが決まったとき、“彼のためならなんでもできる”って、勇気がわいてきたのを覚えています。自分でも不思議だけど、脂ぎったオヤジの相手をしているときでも、“彼のためだ”と思うと気にならなくなったんです。
  彼にはファミレス2件はしごして、一日16時間働いていると嘘を言っていました。ところが、しばらくして今度は彼がフーゾクの店員のバイトを見つけてきた。しかも同じ新宿。ホステスをやっていることは、すぐにバレました。それでも彼は、「やめろ」とは言わなかったな。私が渡すお金を黙って受け取っていました。
  どうして男のためにそこまでするって思います? そうですよね、今の私だったら、女がホステスをして稼いできたお金を、黙って受け取る男なんて絶対に許せない。でもね、あのころの私は違った。それが青春ってものなのかもしれないけれど、心は彼への純愛、体は彼のセックスに、心底溺れていたんです。
一緒にアパートにいる少ない時間、何はなくともセックスって感じでした。今思い出しても、それはそれは素敵な時間でした。ベースには、何の迷いもない彼への愛があるでしょう。だから当然、彼の求めることならば、なんでも許せるし、なんでもできる。しかも、彼の要求通りにすればするほど、快感も幸せもどんどんふくらんでくるんですよ。
体の相性がどうだとか、そういうんじゃない。体がつながっているとき、私たちは、ふたりだけの世界にいることができた。お金とか見栄とか世間の常識とか、そういうものとは無縁の、すごく自由な世界で、べたべた、ぐちゃぐちゃ、汗みどろになって、相手の体を貪っていました。
そりゃあ、相手の彼が、私と同じように思っていたかどうかは、今となってはわかりません。でも、私は、彼も同じ幸せを感じていると信じていたし、私自身、完全に彼への愛に殉じていました。そういう意味では少しも後悔はしていません。自慢じゃないけど、本当に幸せなセックスだったんです。
でも…、夜の仕事を始めると、何かが変わるんですよね、生活感とか常識とか。そのときはわからなかったけど、私たち、どんどんすさんでいったと思います。
彼はアパートに帰ってこなくなったし、私は、彼がいない時間をパチンコ店で過ごすようになった。だから収入は増えても、それほどお金は残らない。私は、月に30万円、彼に渡すことを自分に課していて、それだけは守っていましたけど、いったいあのお金はどこに消えていったんだろう。彼はバンドの練習と売り込みとフーゾクの仕事で、1日何十時間あっても足りないなんて言ってたけど、きっと嘘だったと思う。
私は彼を信じていたかったから、何も言いませんでした。彼がメジャーデビューさえすればすべては報われるんだと思って、黙って見守っていた。考えてみたら、彼から一度も「ありがとう」と言われた覚えはありません。感謝されず、私のために時間を作ってくれるわけでもなく、たまたま彼が帰ってきたときだけセックスをねだる、彼は疲れた顔をしながらそれに応じる。でも、そうするともう、不安も不満も消えてなくなって、彼は私だけのものだって思えて、天国にでも昇った気分になっちゃう…。
でもね、そうこうしているうちに、彼が帰ってくる日がどんどん少なくなっていったわけです。
彼も私も水商売に手を染めて、半年ぐらいたった夏の終わりごろ、まず彼のバンド仲間が郷里へ帰っていきました。そして、例のプロデューサーからの連絡も、ほとんどなくなりました。ついでに、彼はミュージシャンというより、フーゾクで働いている男って雰囲気になりつつありました。たぶん、私もホステスっぽくなってたんだろうけど、自分のことってわかりませんからね。
たぶん10月だったと思う。この月も、彼に30万円渡すつもりだったのですが、お金が足りなくなったんです。ホステスなんだからもっとキレイにしろと言われて、ついブランドもののスーツを買ってしまった。で、彼には「少ないけど」と言って、20万円ほど渡そうとしたら、彼、突然、私を殴りました。
そりゃあ、びっくりしました。初めての暴力だったし、10万円少ないといっても、私の好意で渡しているお金でしょう。
殴られて転んだ私が、「どうして殴ったの?」と問いただしても、返答できるわけありませんよね。彼は「ごめん」と言うわけでもなく、気まずそうにたばこをふかしていたけれど、私が何も言わずに見ていたら、散らかった1万円札を全部拾って出て行ってしまいました。
私は、ずっと彼の帰りを待ちました。ホステスの仕事に穴をあけることはできなかったけれど、それ以外の時間はずっとアパートにいて、お店から10万円借金して、帰ってきたらその10万円を渡そうと思って待っていたんです。
しばらくのあいだは誰にも連絡せずに我慢していましたが、1週間たつと、事故にあったんじゃないか、田舎に帰ったんじゃないか、どこか女のところに行ってるんじゃないかって、いてもたってもいられなくなりました。彼が勤めているフーゾクや知り合いや、私が知っているところ全部に聞いて回りました。でもフーゾク店では「もうやめた」、知り合いからは「最近、知りませんね」。ひとりぼっちで、すごくみじめで、考えることといったら、彼のことばかりで…。
“彼がいないと、私は生きていけない”って、真剣にそう思いました。だから20万円で一緒にいてくれないのなら、30万円、いや50万円だって彼に渡したい。ホステスで働く時間をふやせばなんとかなる、彼がメジャーデビューしなくたっていい、私のお金で一生遊んでくれたっていい。狂ったように彼のことばかり考えました。
一日中、何もしないで彼のことばかり考えてるって、どんなだかわかります? 朝になったのも夜になったのもわからなくて、絶望や妄想や、いろんな思いが頭の中をぐるぐる回ってる。なんどか自殺しようと思った。ほら、このためらい傷がそうなんだけど、死ねるほど深い傷なんてつけられなかった。ただ、傷が痛いと、その痛さで少しの間だけ、つらい気持ちから逃れられるんです。
でも、ほんとうに辛かったのは何日だろう。彼を思うこと自体がつらすぎて、耐えられなくなってきました。彼の顔や姿が浮かんでくると、もう、それだけで胸が張り裂けそうになっちゃう。もういや! もう耐えられないって、何もかも、全部ひっくるめて忘れようっていう方向に、心が動いていきました。
そのときなんですよね。私を殴ったときの彼の顔、すごく醜かったって気づいたのは…。
ちゃんと思い描いてみると、初めて会ったときの彼の顔とは別人でした。つまり、私が“超カッコイイ”と思った顔とは似ても似つかない顔。頬がこけて青白くて、眉間にしわができて、目つきがヤクザみたいだった。そのことがわかったら、すーっと、恋い慕う気持ちが消えていったような気がしました。
結局、彼は2週間帰ってきませんでした。いや、それ以上かもしれません。今度は私のほうが出て行ってしまったから、わからないんです。

来週に続く
Fin
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