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Message for You  02
『PS』などファッション誌で、カリスマ読者モデルとして活躍していた木村綾子さん。彼女は今、タレントとしてスタートしようとしています。読者モデルの仕事とともに大学院進学やライターの仕事などもこなしながら、必死に自分の目指すものを探してきた木村さんの迷い、葛藤、挫折、そして自分を空っぽにしてみること…、そんなニガイ心の旅を、彼女が本音で語ってくれました。同じ世代のあなたなら、きっと心に響くはず!
PSおしゃれ有名人木村綾子さん
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あくまで一人の女の子として思いや生き方を見せて行けるというポジションが居心地よかった
――東京――
18歳で大学進学のために上京。最初は漠然と、「東京に出れば未知なる可能性が溢れているんじゃないか?」。そんな期待だけを胸に静岡の田舎から上京しました。だけど東京は、万人に臨機応変なチャンスを与えてくれるような生ぬるい場所ではありませんでした。でも唯一、「“時間”に対しての挑戦権」。それは誰に対しても差別なく用意されていました。地元にいたときは時間がゆっくり流れていましたが、東京はそのスピードがとても速く、1分1秒がムダにできないのです。その中で、時間を大切に、かつ一定の時間の中で「いくつこなせるか」が勝負。気を抜いたら時の流れの速さに、自己を埋没させられてしまいます。それが理解できた上で、なおも自分と向き合って生きられる人のみに、可能性と成功への扉が開かれるのです。東京は、そんなシビアな街だとわかりました。
――転機――
私にとっての転機といえば、間違いなく「読者モデル」。これは、今も自信を持って言うことができます。
気がつけば、なんとなく、何をするわけでもなく東京で生活していた自分に、いい加減嫌気がさしていたころ。街でスナップ撮影の声をかけられたことがきっかけで、雑誌に出るようになりました。最初はもちろん、華やかな世界に対する好奇心だけだったと思います。けどすぐに、私はその世界に魅了され、はまっていきました。そこには、単なる「ミーハー」という言葉だけでは片付けられないほど、多くのチャンスが用意されていたから。
普通に一大学生をしていただけでは出会えなかった仲間。自分の仕事に信念を持って、常に最大限の力で仕事に臨んでいるプロの方々…。個々に出せる能力をフル稼動させ、編集の人がその現場の舵を取る。そんな緊張感ある場に立ち会えるのは感激だったし、その集大成を、誌面を通して読者に伝える媒体が、「私」であることが快感でした。
――読者モデルとして――
読者モデルとしての仕事が増え、いろんな雑誌に出るようになり、「本業にしてみないか?」という誘いをいただいたこともありました。だけど、それを仕事として一本化するまでには、長い間踏み込めないままでいたのです。「まだほかにも多くの可能性を探したい」。そんな欲が強くあったから。「大学生」として経験できる可能性も捨てたくない。学べる場所はできるだけ多く持っていたい。一つの場所で受けた経験は、また別の場所でも違う形となって必ず役立つものだから。読者モデルと学業の両立は労力がいるけど、努力を惜しもうとはまったく思いませんでした。
それに、モデルやタレントよりは読者に近い場所や目線で、あくまで一人の女の子として思いや生き方を見せて行けるというポジションが、とっても居心地よく、ものすごい活力になっていきました。人に見られているからこそ凛としていられました。突きつけられる現実に、嫌になってしまうことがあっても、見ている人がいるから笑顔でいなくちゃ。そういう力と刺激を、読者の方からいっぱいもらうことができました。同世代を共に生きているみんなが、私というフィルターを通して、「自分を省みられるような、反射鏡のような存在になれたら」と願いながら。
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毎日つけているウルフズヘッドのレザーブレスレット。2万円くらいで購入。「お守りってわけではありませんが、ないとヘンな気分がするほどの存在です」
できるなら表に立っての表現も続けたい。でもやっぱり無理な話なのかな?
――大学院――
普通、大学を卒業すれば社会人へのステップに進むでしょう。だけど私は、大学院進学という選択をしました。しかも4年間学んできた政治経済とは別の、文学への転向。不思議と回り道だったという後悔の念はありませんでした。4年間があったからこそ、学びたい「文学」に気づけたのだし。踏み台になったんだという実感もあったから。
大学院は、同じ明治大学に進むのではなく、尊敬している教授がいる中央大学へ挑戦しました。学部も違い、大学も違います。言ってみれば大学受験をもう一度すると同じようなもの。いや、それ以上キツかったかな? ライバルの多くは、4年間文学の基礎を身につけている。私は、その知識を大学4年生の1年間で埋めなければならない。その前に学部を卒業するための単位取得と卒論。本が好きだったからという理由で司書の資格にも欲張って手を出したので、学業だけでも、3足のわらじを履いていました。だけど不思議と、勉強は苦になりませんでした。
音楽が好きなら、バンドを組む。写真が好きなら、写真を学ぶ。私はその対象が「文章」で、それを学ぶ場所が「大学院」というだけのこと。好きなことの知識がどんどん自分の血となっていく喜び。学ぶという努力を初めて楽しいと思った。不思議な感覚でした。
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――ライターとしての仕事のチャンス――
モデルを続けながら大学院に入って、博士課程2年目。学校で学べる文章だけじゃなく、もっと多くの文章に関するスキルを磨いてみたい。そんな欲に駆られていたとき、『PS』でライターの仕事をしてみないかというチャンスをもらいました。
それまで「出る側」でしか関わってこなかった雑誌の仕事。裏方という立場に立ったとき、どんなものが見えてくるのか? 出る側として伝えられたもの、書く側として伝えられるもの、両方を経験できたら、「表現」というものを、もっと深く知れるんじゃないかと感じました。
見えてきたものは本当にたくさんありました。裏方で支えてくれる人たちの妥協のなさ、気遣い、信念…。撮影のあと、雑誌の形になるまでには、もっともっと多くの人の手が介入して、作り上げられ、推敲され、そして完成する1冊。
だけどもう一方で、「自分の本質」というものが浮き彫りになっていったのです。
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――文筆業――
文章を書く人になりたい――。大学院進学を果たせて、そこで学び、ライターとしても仕事をさせていただけるようになって、夢はだんだん固いものになっていきました。「文筆業=裏方」。そういう固定観念があったから、ゆくゆくは、私がモデルとして表に立つ機会もなくなる日がくるんだろうな…その現実を受け止める覚悟も必要。理解はしていました。実際、ライターとしての仕事が増えるにつれ、モデルの仕事も減っていきました。でも、やりがいもあったから、このままやっていけるだろうと思っていました。
それでも、心のどこかには常に未練がありました。「できるなら表に立っての表現も続けたい。でもやっぱり無理な話なのかな?」って。
ライターをしてみてわかったこと。「裏方への徹底」、「客観目線の文章」。しかし同時に気がついていました。そこに集中しきれず、膨らむ欲を抑える自分。もっとそこに「木村綾子」としての「個」が存在しているものを表現していきたい。それが、ライターを経験したからこそ見えた、「大事に守り抜きたいもの」でした。
「表にも立ち、文章を書く人」。どんな人かイメージも沸きません。だけど、私の目指す場所は、そこでした。「だったら、やってみたい、やらなくちゃ」。そう思いました。
いろんなことを広げすぎて、いつしか最も守るべき「自分自身」まで見失ってしまっていた
――抱えすぎてパンク――
「学生」、「モデル」、「ライター」、「生活を支えるためのバイト」、「見え始めた、自分の目指す目標」。だけど、現状維持に追われ、踏み込む勇気もない自分…。
とうとうパンクしました。ひとりで部屋にいることが多くなり、友だちと出かけても、心底楽しめない自分。家に帰りたいと思う日々。相談したくても、あふれる感情を、どう言葉にして伝えていいかわかりません。
生き生きとした顔をして暮らすために、何をしていきたいの? 現実の中で生きるために何をしていかなければならないの? 考えれば考えるほどに、わからなくなりました。今持っているものすべてが、私にとって捨てられないものだったからこそ、持ち続けて歩いていきたかったのです。だけど、人間には悲しいことに限界があります。本当に大切なものは、そう多くは持てないんです。なのに私は、いろんなことを広げすぎて、いつしか最も守るべき「自分自身」まで見失ってしまっていたような気がます。
――逃亡――
ものすごく勇気のいることだったけど、全部捨てて、実家に帰りました。文章からも、離れました。東京を一度捨てたのです。そうしたら、本当に大切にしていきたいものが何なのか、見えてくるんじゃないかと思ったから。
だけどそのときは、そんな先を見越した上での行動ではありませんでした。かなり自暴自棄になっていたと思います。ただもう疲れて、何も考えなくてもいい環境に浸ってみたかったんです。実家に帰って、一日、本当になーんにもしないで、時間の流れに身を任せてみました。
そうやって空っぽになった私が、不思議とあるひとつのことだけを、またし始めたのです。それが、「物を書くこと」でした。
全部捨てて空っぽになると、次はその空っぽを埋めるために、大事なものを大事な順に拾いに戻ります。人間って、そんなものなんだなって身をもって思いました。
そんなふうに味わった初めての挫折は、私を作るかけがえのない要素を、私に教えてくれました。今思い出してもニガイこんな時期も、経験したからこそ味わえたものだって、今はいとおしく思えます。自分自身と向き合うためには、必要な時間だったんだって。
――今、これから――
私は、表現者として生きて行きたいと思います。「文章」という武器を使って。だけどそれだけじゃなくて、「生きる木村綾子」というものも、もっと多くの人に見てもらいたいとも思います。私という人間性に興味を持ってもらえた上で、初めて生きてくる「言葉」は確実にあると思うし、その私が発する「言葉」が好きだと言ってもらえることも、すごく幸せです。そしてたとえば、「話す」という伝達手段で伝え切れなかった感情は、「書く」という手段で補い、その逆もまた。
ただ、これからもずっと、みんなの身近な存在で表現を続けていきたいという思いは、核の部分に強くあります。今までずっと、「読者モデル」という存在でみんなに触れ合ってこれたからこそ、ここまで広く、多く、深く、同世代で生きている「私」というものを知ってもらうことができたんだから。でもこれからは、もっと多くの人に対しても、「一人の生きるリアル」を伝えていきたい。いつまでも誰からも、身近な存在であり続けたいという思いは、5年間の読者モデルの経験がある限り、きっとずっと変わらないんだと思います。
だからこそ、「木村綾子は、本当にやりたいことに気づいて、そこに向かって、今までより一歩、前のステージに進んだんだ」。そういう目で見守ってもらえたらという思いでいます。
本当に手に入れたいものは、
手に入れるまでには時間がかかるもの。
時間をかけるべき価値のあるもの。
だからこそ、そこに到達するまでの過程の中では、
自分の器を少しずつ大きくしていく惜しみない努力を。
夢が現実になったとき、
それをすくいきれるだけの
大きな器が備わっている自分でいられるために。
今そんな思いで、一歩ずつ前に進み始めました。
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同世代の女の子がここまで自分のことを見つめ、表現したいと希求しているんです。「よし! 自分も頑張らなきゃ!」って、あなたも思いませんか? 今後、木村さんをいろんなメディアで見ることになると思います。一歩前に出た木村さんを、みなさんも応援してあげてくださいね!

木村綾子HP Kimura Ayako Official Web Site

【オンエア情報】

1/30(日)22:00〜 「世界ウルルン滞在記」でメキシコに渡りホームステイ体験
1/16(日)19:28〜新番組「平成教育2005予備校」にレギュラー出演
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