第1章 age26 甘いカラダ(1) ― 私を愛している男では満たせないから、シュウと会う ―
たとえば、その日が自分の誕生日だということを誰にも言えなかった、16になったばかりの夏の夕方とか、付き合い始めたばかりの男とのデート帰りの、17のクリスマスイブの夜中とか、高校卒業後の進路のことで親と大喧嘩した、18の秋の昼間とか、人間でいることが辛くて泣いて、涙じゃ足りなくてゲロ吐いた20の夏の夜とか、自分の写真をけなされて何にもする気力がなくなっていた21の春の朝とか、カメラマンの仕事が全然こなくって落ち込んでいた23の秋の夜とか、生理前で無性にムラムラしていた25の正月とかを、私はシュウとセックスして過ごした。 今日、26の夏の暑い昼下がり、私は1年半ぶりにシュウに会おうとしている。多分それは、付き合って1年目の彼氏、つまり私を愛している男じゃ満たせない私のここが、また乾いてきちゃったから。
待ち合わせの時間きっかり2時間前の、13時。 私はバスタブにヴァニラの香りのバスジェルを少量たらしてから、蛇口を思い切り右にひねる。タブの底にへばりついたジェルが、ザーッと音を立てて勢い良く流れ落ちる湯に掻き混ぜられて、小さな泡をいくつも作ってゆく。タブが泡でいっぱいになるまでの間、私は裸になってタブの隣にあるトイレットに腰掛けて、シェービングクリームをたっぷりと全身につけてから、体中のうぶ毛に丁寧にカミソリの刃を当ててゆく。指先から肩にかけて、つま先からVラインにかけて、そしておしりの周りまで、美しくない毛を全て剃る。そうしているうちにバスルームは生温かい蒸気とヴァニラの甘い香りでいっぱいになり、私は自然と歌を口ずさんでいる。ルンルン、なんて陽気なリズムを刻むのものでは決してなく、ンーンーンー、としっとりとしたR&Bソングのメロディーを鼻の奥でわざと悲しげになぞる。私は湯を止めて、モワモワと山盛りになった泡の中に足を入れる。プチプチプチと小さな泡を潰してゆくと、その下に張った熱い湯が私の足を一瞬麻痺させる。じわじわと体をタブの中に沈ませて首まで湯に漬けると、ザワザワと体中の皮膚が鳥肌を立てる。 「きもちぃ」
私は、数時間後にシュウに抱かれることが分かっている時のバスタイムがすき。シュウを絶頂に導く"完璧な女"をつくるためには、洗いのこし、剃りのこし、は許されない。甘味な不安が漂うこの緊張感が、たまらない。裸の体を丸ごと他人の男に委ねるというリスキーなスリルが、やめられない。真っ白な荒い泡を両手ですくい上げてみる。プチプチプチ、泡は少しずつ消えてゆく。まるで始めから存在なんてしていなかったかのように、あっけなく。口元が緩んでニンマリしてしまう。私はいつも使っているボトルの隣に置いてある赤いボディウォッシュのビンを手にとり、スポンジで泡立てる。生クリームみたいな濃厚な泡で首筋を包むとフワーッと私の香りがする。ディオールのヒプノティックプアゾン。シュウの嗅覚はこの香りをヒントに、発作的に脳に信号を出して私とのセックスの記憶を蘇らせるはずだ。
シュウは甘く仕上がった私の体をどんな風に食べるだろう。
全ての泡を吸収した後の白く濁った湯から出て、透明な冷たいシャワーを浴びる。体はジーンと一気に冷えた後で、ボッと熱く火照りだす。水の冷たさで突起した乳首を軽く撫でてみる。自分の指でさえ、体が敏感に反応する。シュウの指を、思い出す。アソコがビクンと1ミリうずく。バスタブの中に沈む細いチェーンを引っ張って栓を抜くと、ゴーッと音を立てて白く濁ったぬるま湯が流れていった。 バスタオルに体を包ませて、私はリビングまで急ぎ足でパタパタと歩く。時計は14時5分前を指している。まだ水滴のついた二の腕に鼻を擦りつけて香りを確かめる。フンワリと淡い甘さが鼻先をくすぐる。今すぐシュウの鼻が私の肌の上を這ってくれれば良いのだけど、それまであと2時間はあるから、この香りはそれまでに空気の中に蒸発してしまう。私はボディウォッシュと同じプアゾンのボディクリームを少し、無香料のボディクリームと混ぜてから、つま先の指の間から耳の後ろまで、肌に薄くベールをかけていくようにゆっくりと滑らせる。そして、食べ頃に熟した女の体のような罪深い甘さをかすかに帯びて、抱かれる準備の整った体に真っ赤な下着を着けた。
15時20分前。私は玄関の段差に腰掛けて、お気に入りのサンダルに足を滑らせ、足首のところで華奢なストラップの上の小さなボタンを留めていた。隣に置いてある全身鏡に、ゆるく巻かれたショートボブの髪の毛の間でゴールドのピアスが揺れる、黒のミニワンピ姿の女が映った。アイライナーが少しキツイかも、とは思ったけれど、それ以外は完璧な26の私だった。「綺麗になった」と、きっとシュウは思うはず。私はドアを開ける。
夏の蒸し暑い空気が肌を生暖かく包んだ。頭の上を見上げると、真っ白い入道雲が間抜けた様子でポコッと浮かぶ、真っ青な、快晴の夏の空。
今から10年前の、今日みたいに良く晴れた夏の日の夕方、空が嘘みたいに綺麗な表情を見せていた。それを近くで見ようと駆け上がった予備校の屋上で、シュウと出会った。その日は私の16の誕生日で、シュウは15だった。中学を1年ダブった中学3年の私は、高校受験のために無理やり親に、予備校に通わされていた。敬語を使う同級生、私を目の敵にする憎き教師たちに、止めることの出来なくなった悪い噂。死にたい、と思うのととても近い感覚で、全てから逃げ出したいような気持ちで、空に一番近い、8階立ての予備校の屋上まで、私は一気に駆け上がった。そこで、タバコの白い煙を空気の中にくゆらせていたシュウを、私は見つけたんだ。 あの頃、私は制服のスカートをウエストのところで何度もクルクル折り込んで、丈をギリギリまで短くして履いていたっけ。そこだけ布が分厚くなっていた分、ウエスト回りがじっとりと汗をかいていた感覚を今でも覚えてる。シュウはシュウで、制服のパンツを腰ギリギリのところまで落として履いていたっけ。懐かしさにひとりフフっと小さく笑うと携帯が鳴った。
<続く>


