第3章 age16 空とシュウ(2) ― 予備校の屋上で、のあが出会ったのは… ―
できるだけ近くで見たい、空だった。
できればそのまま私をのみ込んで欲しいと
願いたくなるような、空だった。
私は、死にたい、と思うのと、とても近い気持ちで、
空に向かってダッシュで走った。
8階建ての予備校の階段を、一気に駆け上がった。
「うわぁーっ!」
本当はもう何も言えないくらいに乱れまくった呼吸の中でも、自然と歓声が沸いてでた。両膝に両手をついて、はぁはぁしながらも、顔だけは上げて地上から見るよりも遥かにその迫力を増した空の美しさで視界をいっぱいにした。
瞬きするのも、惜しいくらいに綺麗だった。
綺麗という言葉じゃ足りないような、
泣きたくなるような、
色をしていた。
私は慌ててポケットから使い捨てカメラを取り出すと、カメラを持った両手を空にかざし、それを少し引き戻して顔に近づけて、背伸びをしながらシャッターを押した。
地平線の変わりに見える、都会のビルとビルの谷間を結ぶ黒いシルエットもフレームの下に入れようと腕を少し下げると、そこに、人間のシルエットが映りこんだ。私は驚いてカメラを顔から放すと、数メートル先に立つ、人の姿が見えた。逆光だから良く見えないけれど、たぶん男だ。ふっと空に集中していた意識が途切れて、私は階段を8階分駆け上がった疲労感をドッと感じると、コンクリートの上にヘナヘナと座り込でしまった。ドッと汗が、額から湧き出てくるのが分かる。制服のスカートを何回も折り込んだウエストの部分がじっとりと濡れて、熱くなっている。
一歩ずつ、男が私の方に近づいてきて、その姿が少しずつ、夕日の眩しさに目を細める私の視界の中に、ハッキリと映ってくる。黒いローファーのすぐ上のグレーのズボンは、腰ギリギリまで落として履かれていて、そこには黒いベルトが巻きついていて、その上に見える白いシャツは両肘のところで捲くり上げられていて、日に焼けた肌をした腕の先の右手には、タバコが1本、挟まれている。
「そんなとこ座って、何してんの?」
声変わりをしたばかりのような、まだ不安定な低さの、少し擦れた、少年の声が聞こえた。私は止まらなくなった額の汗を、シャツの肩の部分で拭ってから、太陽の光の影になって見えない少年の顔を見ようと立ち上がった。
金色で縁取られた少年の髪の毛がサワサワと風に揺れているのを見て、私はここに風があることに気付いた。そういえば私の長い髪も、少年の髪の毛と同じ方向に飛ばされていて、その一部が、汗で濡れた額に張り付いているのか、毛の束が、ずっと視界に入ったままだった。
「お前も、イップクしに来たの?」
私が顔を横に振ろうとした瞬間に、ブワーッと強い向かい風が吹いて、私の髪の毛は全て後ろへと飛ばされ、追い風を受けて長めの髪が目元を覆い隠した少年の顔が、ハッキリと見えた。ピンク色の空から舞い降りた天使に錯覚するには、少しばかりスレすぎた、でも錯覚するに十分なくらいに美しい少年だった。そして、左手で髪をかき上げた少年の、私をまっすぐに見つめる瞳を見た瞬間、私は思わず息を飲んでしまった。怒り以外の感情を1滴も含まないような涙で覆われた、澄んだ瞳をしていた。
バックに見える連なった雲が、羽のようにも見える、そのイマドキの怒れる天使は、右手を口に近づけてタバコに吸い付き、上を向いて、白い煙を空へと吐きながら言った。
「雲って、タバコの煙でできてるんだぜ?」
そんなの嘘、と私が言うと、少年は、タバコの煙は人間のため息だ、と言った。だから、あの雲の一部はオレのため息でできている、と。
「あんたは、何をそんなに怒ってるの?」
少年の瞳からのまっすぐな視線から逃げまい、と必死になってその瞳を見つめ返しながら私が聞くと、少年は何も答えずに私に背を向けて、元いた場所までスタスタと歩き出した。私から遠くなる度に、また段々とその後姿が、逆光によって真っ黒なシルエットへと変わりゆく少年が、今にも消えてしまいそうで焦った私は、駆け足で彼の後を追った。
<続く>


