第7章 age21 記憶の中の空(1)― 満たされない心の中に浮かぶのはシュウで… ―
「のあ、なんか変わったよな」
汗ばんだ背中を私に向けたまま、ベッドの端に腰掛けたシュウが振り返って、ベッドの上で体育座りしている裸の私に言った。
「…どういう意味?」
シュウから目線をそらし、乱れたベッドのシーツを見つめて私が聞くと、シュウは何も答えずに立ち上がってトランクスをはいた。
変わったのはお互いさま。半年ものあいだ、シュウからの連絡をすべて無視していた私がこうしてまたシュウと会うようになって以来、シュウは私というセフレを失わないように、必死だ。前なら、私がお金を持っているときにしか行くのを嫌がったラブホテルに誘ってきたり、セックスも前みたいな自己中心的なものではなく、私が感じるように、と努力するようになった。
そんなシュウの必死さは私を思い切り萎えさせる。
「いやぁ、なんだかなぁと思ってさ」
ベルトのバックルをはめながら、さりげなく私のほうへと流すシュウの目が、私の機嫌を伺っている。
「エッチ気持ちくなかったぁ?」
私に媚びるようなシュウの声のトーンに、吐き気がする。最近、会うたびにそうだ。セックスが終わった後はもう、シュウの顔すらみたくない。私は無言でベッドスタンドのデジタル時計に目をやった。6:12amと緑色の文字が光っている。3時間後には、渋谷のロケ場所に行かなくてはならない。指をシーツの中に滑らせて見つけたショーツにつま先をくぐらせながら、私は言った。
「また、したくなったら連絡するから」
「はっ?」
腕を通したばかりのTシャツから顔を出すなり、シュウは吐き捨てるように言った。
「……」
私はまたシュウから目を逸らし、両腕を背中に回してブラのフックを留めた。
「早く帰れ、って? アハハ、すげぇなお前」
シュウはわざとドスンとベッドに腰を降ろし、私のほうを振り返ることなく靴下をはいている。良かった、帰るんだ。
"早く消えろ"
黒いTシャツを着たシュウの背中を睨み、私は思った。
「アハハ、やっぱ変わってねぇか、のあは」
何の嫌味も含まれていなさそうな明るい声で笑うと、シュウは立ち上がった。椅子に置いてあったジャケットとキャップを片手につかむと、ドアのほうへと歩いていく。
「じゃーね」
一応私がそう言うと、ブーツに足を突っ込みながらシュウは振り返って、口角を片方だけ少し上げてニヤリと笑った。
「やっぱすげぇそそるよ、お前。またハメたくなったら連絡してよ」
あの目だ、と私は思った。怒りに澄んだ、キレた瞳。今、私の目に映っているのは、あの少年の5年後の背中なのだ。一瞬、私の脳が昔の記憶を手繰り寄せようとして、ほんの一瞬、舞といた、あの夏の夕方に戻れるような、そんな錯覚に陥った。
カチャリ、と重たいドアが閉まった音がして、私は現実に引き戻された。ピンクと黒の水玉模様の壁に囲まれた長方形の部屋の中の、大きな白いベッドの上にぽつんと一人で、21歳の私は膝を抱えて座っている。私は思わず両手でシーツを思い切り手繰り寄せ、それで顔をおおった。息が苦しくなるほどシーツを顔に押し付けて、その中で声にならない悲鳴を上げた。
憎い。シュウが憎い。ザザザッと皮膚に鳥肌が立つような、気色の悪い余韻を体中に残すセックスを求めてしまう、自分が憎い。でも、そう強く思っていても、このシーツを涙で濡らすほどには乱れない冷めてしまった感情に、私は何よりも戸惑ってしまう。舞が死んだことを知ったあの夜以来、私は一度も泣いていない。もうすぐ1年になるのに、舞の死が私の胸に残したシコリは固いままだ。
はぁ。
シーツを顔から離して深いため息をつくと、ベッドの向こうのテーブルの上で私の携帯が"着信あり"のライトをチカチカと点滅している。
あぁ。
私は抱えた膝の上に額をつけて小さくなった。長い髪がサラサラと、太ももと太ももの間に流れ落ちる。
純也は、どうして私みたいな最悪な女に裏切られ続けているんだろう。早く気付いて私から離れればいいのに、なんで気付かずもっと、近づこうとするんだろう。あの頃、純也と同じように私を求めていた舞に背を向けてシュウの体に逃げていた私は、その中に舞との記憶を探るようにしてまた、純也から逃げてシュウへと戻ってきてしまっている。舞の死を一緒に悲しむ友を持たない私は、一緒に泣いてと、シュウの体にしがみついては、一人ぼっちより深い孤独を感じている。
あまりの寂しさに息が苦しくなって、私は膝に伏せていた顔を上げ、ベッドの上に大の字に仰向けになった。鏡張りの天井に、白いシーツの上に横たわった、水色のブラジャーとパンティだけを身に着けた自分の体が写っている。足首が細すぎて、足が大きくみえる。黒でペディキュアした足の爪がとても小さく並んでいる。指の間を開いたり閉じたりしてみると、虫がモゾモゾ動いているみたいだ。
足を大きく広げてみると、パンティの股のところだけが丸く染みになっていて、水色が濃くなっている。そこに指で触れてみると生地はまだ濡れていて、シュウがついさっきまでココにカラダを差し込んでいたということが不思議な感じがした。体を交えることで、私がシュウに求めていたものは、手に入ったのだろうか。純也とも、親とも、舞とも、そしてシュウとさえ、決して共有することのできなかった私の想いや記憶を唯一知るシュウのカラダは、私を、慰めてくれたのだろうか。
「すげぇそそる」
シュウの声が、頭の中で繰り返し響く。私のこのカラダから、シュウは、欲しいものを受け取っていったのだ。
「うざっ」
私は声に出して呟いた。私がシュウとのセックスに求めているものを、私は十分には得られていないのに、あいつはあいつが欲しいものを手に入れているんだと思ったら、急に物すごく腹が立つ。私から誘ったのにも関わらず、物すごく使われた気分になる。
ヤッているところを鏡で見たいから、と電気を付けっ放しにしてヤッたシュウに今更いらだちながらベッドサイドのスイッチを下げて照明を落とし、床に落ちていた掛け布団を拾って体にかけた。
小さな窓にかかった白いシーツの布を青く透かして、夜明けの光が部屋に差し込んでくる、夢を見た。あまりにもリアルだったから、携帯のアラーム音で目覚めた瞬間、窓のない水玉模様の壁に混乱してしまった。ぐったりと重たい瞼を閉じて、私は空から完全に隔離された空間の中で寝返りを打った。早く起き上がって、服を着て、メイクを直して、渋谷に向かわなくちゃいけないのに、体が重たくて動けない…。
起きなきゃ、行かなきゃ、と毎朝ベッドの中で思うたびに胃が、キリキリと痛みだす。
<続く>


