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空とシュウ
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前回までのあらすじ

 23歳になったのあは、三咲のアシスタントとして、初めての海外ロケに同行することに。空港におりたち、ホテルに向かう途中、いつもは厳しい師匠、三咲から優しい言葉をかけられ、泣きそうなくらい嬉しかったのだが…。

第8章 age23 南国の海(2)― 初めての海外ロケに、心はずむのあだが… ―

 スーツケースと首にさげていたカメラを3階の部屋に置いて、三咲のカメラ機材とフィルムの入ったバッグを両肩にかけて、私は急ぎ足で1階まで降りた。50畳はあるブラウンのフローリングの上に、まっピンクの花が一輪生けられたガラスのテーブルと、それを囲む白い籐の丸い椅子がいくつも並んだロビー。そこはガランとしていて、まだ誰も来ていなかった。ロビーの両脇に並ぶブラウンの柱以外に壁はなく、ホテル内につくられた広い庭へと続いている。

 クタビーチに面した、バリ風のインテリアで統一されたモダンなホテル。三咲と別々の部屋だったことだけでもありがたいのに(3泊4日を師匠と同じ部屋で過ごすなんて、息が詰まって死んでしまう)、天井から白いカーテンがつるされたクイーンサイズの天蓋ベッドのある素敵な部屋が、私のために用意されていた。

 仕事中、いつもはお腹のほうまで沈みがちな心が、今日は勝手に顔のほうまで浮いてきて、ついつい頬がにやけてしまう。私は目を細めて、強い日差しがキラキラといろんな緑色を照らしだしている庭の草木を見つめた。ふわっと吹いてきた風が、額の汗にヒンヤリと当たる。こんなにも美しい場所が空の向こうにあって、空の上を通って、ここまで連れてきてもらえたなんて、夢みたい。

「あの、」
 汗を二の腕でぬぐっていると、後ろから男性の声がした。太くて低いのによく通る、たった一言で印象に残るくらいにいい声だった。振り返ると、カーキ色の中折れハットをかぶった30代半ばくらいの男の人が「お疲れ様です」と私に言った。
 逆さまにした三日月みたいな目をして微笑んだ彼の笑顔に、ハットについたラコステの小さなワニと、口元の髭がとても良く似合っている。ここで合流することになっている撮影メンバーの誰かだろう。
「三咲のアシスタントの中山です。よろしくお願いします」
 私が軽く頭を下げると、彼も「こちらこそ、よろしくお願いします。編集の熊谷です」と会釈をした。本当にいい声をしている。
「あ、」
 交換したばかりの名刺を見ながら、私はつい声をだしてしまった。何ですか? というように、目をキョトンとさせて私の顔をのぞき込んだ彼の表情が、ほんとうに"くまさん"みたいで思わず私は笑顔になった。

「あ、いえ、くまさんってお名前を聞いたことがあったので」
 私がそう答えると、くまさんはすこし照れたように、「そう呼ばれてるんです」と笑って顎のヒゲを指で軽くつまんだ。その仕草も、私と同じくらいの身長の体格のいい体も、とっても、「くまさんっぽいです」。思わず声に出して言ってしまったことに、私が一瞬焦っていると、くまさんはアハハハハと笑った。私もつられて一緒に笑ってしまった。
 「中山!」
 三咲の声にサッと笑いがひいた。声のほうに振り返ったくまさんの後姿の向こうに、いつの間にか集合していた三咲たちが見えた。売れっ子モデルのサエに、彼女のマネージャーの江里子さん、スタイリストの後藤さんに、彼のアシスタントの男の子も、私とくまさんを見ていた。

「すみません!」
 私が急いで駆け寄ると、三咲は私のほうには視線も向けず、私の後ろから歩いてきたくまさんに「お久しぶりー!」と明るい声で話しかけた。三咲は私が仕事関係の人、特に男の人と親しげに話すことを何よりも嫌うので、常に気をつけていたはずだったのに、海外にきて気がゆるんでしまったのかもしれない。
 引き締めなければ。
 仕事で来ているのだ。

 私は何度か仕事で一緒になっている4人には、頭を下げて挨拶をした。少し遅れてやってきたヘアメイクの女性とは初対面だったので、ロケ場所に向かう車の中で名刺交換をした。
 ビーチの前で車が止まると、モデルのサエがワンピースを脱いで砂浜へと降りた。ビビッドなイエローの三角ビキニの紐が蝶々結びされただけの背中で、まっすぐにブロウされたロングヘアがサラサラと揺れた。今回は、20〜30代の女性をターゲットにしたライフスタイル誌のリゾート特集、表紙と4ページの巻頭グラビアの撮影だ。

 「華やかさをめいいっぱいだしてください。読者が今すぐにでも南国に旅立ちたくなるような、非日常感が欲しい」と言ったくまさんに、サエはナチュラルにメイクされた笑顔で振り返り、「任せてください」と言い切った。
 たしか、まだ10代だったはず。わがままで姫気質だと、悪い噂のたえないモデルだけど、数々の雑誌のカバーを飾る彼女のプロ意識の高さには定評がある。自分の仕事にそこまでの自信を持てる彼女を、私はうらやましく思った。三咲もそうだけれど、ここにいる私以外の人は全員、仕事に対する揺ぎ無い芯のようなものを持っているように思う。

 燃えるような砂浜が、フラットシューズ越しにも足の裏に熱い。頭の上で燃えたぎる太陽の鋭い光が、私のつむじをジリジリと焦がしてしまいそうだ。サエがポーズをとって、シフォン素材のピンク色の布を頭上に広げた。その布に、まっすぐ広がる空と海のブルーの境界線が、パープルに透ける。
 たしかに綺麗なのだけれど、なぜかそれは私を迷わせる。永遠に美しい壮大な自然の中にぽつんと立ち尽くす、短命な美しさを必死になって写真に収めておこうと笑顔をつくる人間。そんな彼女がより美しく写真の中に収まるように、そして"つくられたパープル"が綺麗に写るように、被写体に反射する光を調節してレフ板を傾けている私。アシスタントとして、ここに注がなくてはいけない情熱の芯を、どうにも見出せない。写真を撮る意味とは、いったい何なんだろう。三咲について2年半、私は以前よりもずっと、写真が嫌いになってしまったようにさえ思う。

「サエ、すごくいい! カメラ、フィルムに切り替えるからちょっと待ってて」
 三咲の声に私はレフ板をおき、バッグからカメラを取りだして三咲に手渡した。デジタルカメラでは白が綺麗にでないため三咲はフィルムも使う。フィルムにはポジとネガの2種類があり、現像した後のフィルム自体がポジの場合は写真の画のままのカラーで写り、ネガは反対に淡いオレンジ色の陰画として写る。ネガの一番のメリットとしては、現像する時に光の具合を再度調節し直せるところだ。デジタルやポジでは、撮影中にシャッターを押すその瞬間だけが勝負となる。フィルムの入っているバッグを開けた瞬間、ジッパーをつかんだままの指が少し震えた。ポラロイドを忘れてきてしまった。スーツケースの中に入れていたんだった。やばい…。フィルムでの撮影はデジカメのように、その場で画を確認できないから、撮影前にポラロイドで写りをチェックするのだ。

「何ずっとしゃがんでんのよ、早くしてよ! 」
 三咲の声に私は立ち上がり小声でそれを伝えると、ビクッと体が揺れるほどの怒鳴り声を返された。
「あんた何しにここに来たわけ? ここスタジオじゃないんだよ! 太陽は待ってくれないの、分かる? 」
「すみません、すぐに取ってきます! 本当にすみません! 」
 私がホテルまで走って戻ろうと三咲に背を向けると、今度は背中がゾクッとするような冷たい声で三咲が言った。
「あんたバカにしてんじゃない? モデルとかつくられた美しさってくだらないとか思って、私たちみんなを見下してるんじゃないの? そういうこと思ってる奴がひとりでもいると、いいもの撮れないんだよね。もうそのまま日本に帰っていいよ」
この場にいる全員、ゆるぎない芯を持って仕事をしている人たちみんなの視線が一気に私に突き刺さり、私は動けなくなってしまった。
「…そ、そんなことないです」
 声が、震えてしまう。
「泣いてんの? 自分がミスして自分で泣く奴がいるか? 」
 三咲の声に、肩が震えてしまう。目に溜まった涙が落ちないように、私はグッと眉間に力を入れた。今までどんなに泣きそうな時も、三咲の前で泣いたことは一度もないんだ。私は振り返って、みんなに深く頭を下げた。
「私のミスでご迷惑をかけてしまって本当にすみません! すぐに取りにいってきます! ごめんなさい! 」
 顔を上げると、三咲はぷいっと私から視線を逸らし、モデルのサキは鋭い視線で私を睨み付けていた。他のメンバーは困った顔をして私を見ていた。くまさんが私のほうまで歩いてきて、「コーディネーターさんが車で待機しているので、急いで取ってきてください」と言ってくれた。そして、「帽子かぶらないと、3泊4日持ちませんよ」と続けて、肩にかけていた布バッグからメッシュキャップを取りだして私に差しだしてくれた。
「ありがとうございます。本当にすみません」
 くまさんに頭を下げた時、両目から涙が一粒ずつ、砂浜に落っこちた。

<続く>

六本木、金曜日、雨の深夜。ウェイトレス、キャバクラ嬢、ラジオDJ、OL、ダンサー、ネイリスト。同じ日、同じ街で6人の女は、夢に、恋に、仕事につまずいていく。それぞれの女性たちが抱く、他人に見せたくない苦しみを描いた連作短編集。


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