第8章 age23 南国の海(4)― 最終日、のあが三咲から言われた言葉とは… ―
「嘘ではないです!」
胸に突き刺さった言葉の矢を跳ね返すように私が言い返すと、三咲はタバコの煙をゆっくりと吐きだしてから言った。
「それが嘘じゃないなら、あんたバカだね。自分のことが全然分かってない。じゃあさ、なんでその、ひとりで勝手に撮ってただけっていう写真を私に送ってきたの? 私に認めて欲しかったからでしょう? 中山のフィルターを通した空を、私にも美しいと思って欲しかったからでしょう?」
私は思わず両手で顔を覆った。右手の指に挟んでいたタバコから、長くなっていた灰がポトッとテーブルに落ちた。
「あんたはさ、自分が思っている以上に自分が大好きなの。分かる? 自分の外見が美しいことだって本当は自分でよーく知っている。要はあんたって、自意識過剰なのよ」
「それは違う!」
両手をテーブルにパンッと置くと、三咲が目をまん丸くして私を見たので、急に気まずくなって手を膝の上に引き戻した。落としたばかりの灰がついて、右の手の平が真っ黒になっていた。
「自意識過剰じゃないクリエーターが、この世にいると思うわけ? 自分大好きで、何が悪いわけ?」
私は三咲の顔が見られずに、短くなったタバコを灰皿の上でそっともみ消した。
「あんたさ、派手な外見のせいで昔イジメにあってたとか? なんか、異常なほどに自己愛を隠そうとする。卑屈ってゆうかひねくれてるってゆうか…。見てて苛々すんだよね。でもさ、だからあんた写真が好きなんだよ。自分の美意識が満たされるから、気持ちいんでしょ。あと、あんたセックスも好きでしょ? 自分の代わりに自分の美しさに発情してくれる男を見るのが、気持ちいんだよね」
「なんでそこまで言われなきゃいけないんですか?」
カッとなって三咲を睨みつけると、三咲の顔がぼやけて見えた。涙が溜まっていることに気づいた私は下唇をキュッとかみ締めた。
「似てんのよ、私とあんた。すごく違うけど、すごく似てる。あんた、自分で思っている以上に、写真が大好きで大好きでたまらないんだと思うよ。だから中山、あんた、いいカメラマンになるよ」
私はサッと右肩に顎を乗せて後ろを向いた。熱い涙が溢れだして、止まらない。
「泣いていいよ。2年半、私のアシスタントやって一度も泣かなかったのって、あんただけだし」
私は両手で顔を覆って、体を震わせながらしゃくり上げた。う、ううっ。声が漏れて、上手く息ができない。鼻をすする音と波の音が一緒になって部屋に響く。
「カメラマン、なる気あんの? あんたの美意識を満たすだけじゃなくて、他人を喜ばせることのできる写真、撮る自信あんの? 写真が好きだって、あんた今、胸張って言える?」
顔が、涙でぐしゃぐしゃになってゆく。私は恐る恐る顔から両手を離すと、三咲をまっすぐに見つめて答えた。
「はい。言えます」
ふやふやにフヤケタ視界のなかで、三咲が微笑んだのがなんとなくわかった。
「じゃ、解放してあげることだね。自分の自己愛を。私もあんた、解放してあげるから」
「…え?」
まぶたを閉じて涙を振り落とすと、二本目のタバコに火をつけ始めた三咲が視界にクリアに映った。
「独立しなさいよ。まだ2年半だけど、あんたならきっと大丈夫よ。ただ、別に誰と寝てもいいけど、仕事関係にある男とだけは絶対に寝るんじゃないわよ。この業界は狭いから、体で仕事取ってると思われたら終わりだからね、特にあんたみたいな色気のある女は、決まって損するから、気をつけなさいよ」
「で、でも…。里中さんは師匠に5年もついていたし、私もできればまだアシスタントとして勉強したいです」
本音だった。 写真を撮る意味さえ見失い、ついにクビにされるかもしれない、今夜ですべてが終わるかもしれない、とおびえながら私はこの部屋に来たのだ。独り立ちする心の準備なんて、まったくできていない。それに、私はアシスタントとしての固定給で生活しているわけで、急に放り出されてもフリーランスのカメラマンとして食べていけるはずがないと思った。早口で私がそれを説明すると三咲は、必死になっている私を前にアハハと笑って「うん。まぁね」と、人事のようにシレッと答えた。
「でも仕方ないのよ。私、この仕事を最後にしばらく休業するの。妊娠しちゃったのよ、私。今、4か月なんだけど、まだ分かんないよね」
一瞬にして涙はどこかへ引っこんで、私はポカンと口を開けたままタバコを吸う三咲をじっと見つめてしまった。
「ああ、タバコね。そろそろやめなきゃだよね。里中にも怒られてるんだけど、なかなかねぇ」
「えぇ? 里中さんとの…?」
つい大きな声を出した私に三咲は少し照れたようにうつむきながら「そっ」と一言つぶやいて、タバコをペリエの入ったグラスの中にジュッと落とした。
「私も今年もう40だし、子供生む最後のチャンスかなって思ってね。高齢出産だし、2度、おろしてるからさ、子供。しばやく休業してゆっくりしろって医者に言われてさ。中山、おろしたことある?」
私が首を横に振ると、三咲が「そっか、いいね」と言って、違うグラスにペリエを注いで、一口飲んだ。
「気をつけなかった私がいけないんだけどさ、でもやっぱ、女にとって子供おろすのってすごくツラいんだよ」
初めて見た三咲の表情に、私は戸惑いながらもタバコに火をつけるわけにもいかず、手持ち無沙汰になった両手を膝の上に置きながら、高校生のときに中絶したアサミのことを思いだしていた。あのとき、強がっていただけでアサミも泣いていたのかもしれない。私が気づけなかった他人の痛みは、舞だけじゃなかったんだ。私は両手に力を入れて、グッと膝の上に爪を立てた。
「男なら良かったって、初めて思ったよね」と、三咲は私の目を見て話し続ける。
「男はさ、女に子供生んでもらって、そのまま仕事続けられるじゃん。女はそうはいかないじゃん。女が第一線で仕事を続けるって、男には分からない、いろんなもの犠牲にしてるわけよ。今回も、すごい悩んだよ。キャリアが私のすべてだからさ。休んでる間に、今まで自分が死ぬ思いで築き上げたポジションを失うんじゃないかって、正直怖い。でもおろすって言ったら、里中に泣かれてさ。しゃあねぇなって感じ」
"しゃあねぇな"。
確か、アサミも子供をおろすとき、そんなふうに言っていた気がする。あのとき、私はそれに反感を持ったのだけど、いま三咲が使ったような感じで、自分の本当の気持ちをはぐらかすために使っただけだったんだ。ごめん、アサミ。
「ってことで、結婚すんのよ。帰国したらとりあえず、籍だけいれる」
そう言って頭に巻いたバスタオルを取った三咲の濡れた長い髪からは、いつもの女の香りがした。幸せそうな、女の甘い香り。
「おめでとうございます」
私がそう言うと、三咲は目を見開いて私を見つめた。そして、急に照れたように頬を少し赤く染めながら、「あんた顔、真っ黒だよ。洗ってきな」といつもの師匠の声に戻って言った。
バスルームで鏡を見ると、私の顔はところどころ黒く汚れていた。そっか。タバコの灰がついた手で顔を覆ったからだ。私は手を洗ってから、水でゴシゴシ顔を洗った。里中さんを5年間もアシスタントにしていたのは、もしかしたら師匠が里中さんと離れたくなかったからなのかもしれない、と思ったらタオルで水気を拭いている頬がにやけてしまった。
「あ、」
ふと、洗面台に置かれた深紅色の丸いビンに目がとまった。HYPNOTIC POISONとグレーの文字で書いてある。これが、三咲のいつもの香りだ。
「師匠!」
私はバスルームから三咲を呼んでいた。「何よ?」と顔をだした三咲に、この香水を真似してもいいかと、私は聞いた。三咲はニヤリと笑って香水のビンの隣にあった同じ色をした縦長のボトルを取ると、それを私に渡してくれた。
「香水じゃなくて、ボディクリームのほうをあげる。こっちの方がセックスと相性いいから。もっとあんたは女を楽しみなさい。若いんだから。これからでしょ?」
三咲につられてふっと笑いを吹きだすと同時に、また、目から涙が滲みでてきた。こんなふうに師匠と、ううん、女の人と、一緒に笑ったのは初めてだったから。
<続く>


