第8章 age23 南国の海(5)― 夜明け前のビーチでのあが想うのは… ―
ベッドの中で目を閉じても、ドクドクと脈打つ心臓は一向に落ち着かず、眠ることを諦めた私は部屋をでて、ホテルの正面にあるビーチへと向かった。昼間のカラフルな暑さが嘘のように暗く冷えた空気に、キャミソールとショートパンツからはみだした肌がうっすらと鳥肌を立てた。カメラを持っていないほうの手で二の腕をさすりながら、ビーチサンダル越しにもゴツゴツと足の裏を刺激する粗い砂利道を私は歩いた。ヤシの木の間をすり抜けると、暗闇の中でザザーンという波の音だけが近くなる。
「うわぁ」
視界からヤシの木が消えた途端、目に飛びこんできた星の数に、思わず私は声を漏らしてしまった。子供の頃に持っていたビーズの入った箱を逆さまにひっくり返してしまった時のように、無数の白いビーズが夜空一面に散らばっていて、黒い海面にも同じ数だけ、星が反射してキラキラ光っている。
私はビーチサンダルを脱いで、ひんやりとした砂浜を足の指の間にサラサラと流しながら海に近づいた。水に濡れないギリギリのところで腰を下ろすと、私はカメラを構えた。
「カメラを構えた自分がシャッターを切る"その瞬間フレームに入ったものこそが美しい"って自分で思い込んでいるわけじゃない」
三咲に言われたばかりの台詞が頭の中にこだました。
そうなんだ、そのとおりなんだ。
この、小さなフレームには入りきらない巨大な被写体の、どこを切り取るか、どの瞬間を切り取るか、は私にかかっていて、そこに私のエゴが出る。
パシャリ。
ソフトフラッシュをたいて、私は星の光る空と海の一部を照らしだし、四角いフレームで切り取ってカメラの中に収めた。写真を1枚撮るたびに、私の中で満たされる何か。それが、三咲のいう「私の美意識」なのかもしれない。
ただ、三咲が私を誤解しているのは、私は自分を美しいと思っていないということだ。空を、海を、自然界の美しさに圧倒されるのが好きなのは、人間界の中にこびりつくベットリとした美意識のちっぽけさを、感じられるからなんだ。別に、自分が目立っていたからイジメられていたってほどのツラい過去があるわけではない。ただ、私はそういうちっぽけな美と美の張り合いのようなものに、心底うんざりしているだけなんだ。
人間の、女の、美しさなんてものはすぐに滅びてしまう。だったらいっそのこと、今すぐに衰え、お婆さんになってしまえたらどんなに楽だろう。私は、三咲のすっぴんの頬に深く刻まれほうれい腺を思い出していた。
でも、そしたらもう、シュウは私を抱かないかもしれない…。ふとシュウのことが頭によぎり、私はカメラを下ろして膝を抱えた。暗闇に目が慣れて、曖昧だった空と海と陸の境目が少しずつ見えるようになってきた。月明かりを受けて、キラリと光る一本の細い線が空と海を、私の足元に寄せては引いてゆく波の白い泡が海と陸の、境界線。
私の頭と心と体も、こんなふうにシンプルに、混ざり合うことなく分かれればいいのに。
シュウは、今みたいに私の頭の中だけにポンと浮かぶこともあれば、頭では会いたくないと思っていて、体だって抱かれたくないと思っていても、ポッカリと空いた心だけがシュウと求めてしまう時もある。体だけがシュウを欲しがる時もある。
だけど、抱かれている間は、ほんの10分間だけの時だって、その間はずっと、頭も心も体も、シュウで埋め尽くされてしまうんだ。そして、すべてが混ざり合うその間、私の中の境界線はぐちゃぐちゃに溶かされる。
それに、今は頭の中だけにシュウは浮かぶのだけど、突然フリーのカメラマンとして独立することへの不安と興奮で眠れずにベッドの中でじっとしていたほんの数時間前、私は心と体でシュウを欲していた。何かが起こって、ある一定の度合いを超えて不安や悲しみを感じたときに、シュウとのセックスに逃げる癖がついてしまっているのかもしれない。
そして、それは三咲が言ったように、私という女に欲情してくれるシュウの姿が私を安心させるからなのかもしれない。
もう会えないのかなぁ。もう二度と、シュウと会えないのかなぁ。お互いの家も知らないし、共通の知人もいない。
考えてみれば、携帯番号とメールアドレスだけが私たちを繋いでいたんだね。どちらかが相手に伝えずにそれを変えてしまえば、その瞬間に私たちは終わる。そんなにあっけないものだったなんて、シュウがそれをする前まで私は気づかなかった。
真剣な彼女ができたのかな。
それとも、シュウ、死んだ?
そっか。そうだった。私たち、どっちかが死んだとしても、分からない関係なんだね。だったら本当に、死んだのかもしれない。私を置いて、ひとりで死ぬなんて、ひどいね。でもさ、もし生きていたとしても、もう二度と会わないってことは、私にとってシュウは死んだと同じこと。
「シュウ」
私はシュウの名を呼んでみたのだけど、声はすぐに波に飲み込まれた。
あ。空が少しずつ明るくなってきている。
「もうすぐ、地平線に太陽が昇るよ」
ヒャッ! 突然背後から声がして、私は思わず悲鳴をあげながら立ち上ってしまった。その拍子に手から落ちてしまったカメラを「危ないっ」とキャッチしたくまさんが、私の隣で微笑んでいた。
<続く>


