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空とシュウ
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前回までのあらすじ

 今でも、元師匠である三咲の家で、ベビーシッターのアルバイトをするのあ。この日も三咲の家に向かっていたのだが、そこに彼女からかかってきた電話はヒステリックで…。師弟関係は解消されても、この関係は続いていく…。

第10章 age25 恵みの雨と土の香り(2)― ヒステリックになっている三咲の言葉は… ―

 遠くから三咲のかすれた声がしたので、私はドアをゆっくりと押し開けた。奥の窓一面にかけられた淡い緑色のカーテンが、ユラユラと風に揺れている。三咲はテラスにいるのだろう。私は足元に転がっているクッションや脱ぎっ放しのランジェリーを拾い上げてはベッドの上へ置き、揺れるカーテンのほうへと足を進めた。

 テラスは、私のワンルームマンションがすっぽり納まってしまうくらいの広さで、観葉植物の緑に囲まれている。真ん中に置かれたガーデンテーブルを囲む6つのチェアーのひとつに、分厚いローブにくるまった三咲が腰をかけて、不機嫌そうに白ワインを飲んでいた。三咲の化粧された顔に、疲れが見える。私は、お疲れ様です、と言って向かいに座った。アチッ。足元に置かれたヒーターにタイツを焼かれそうになり、私はイスを少しずらす。

「もう最悪よ! こっちはシッターまで用意して家を出るところだったのに、急に電話かかってきて、打ち合わせキャンセルされたんだから!」

 そう言いながら三咲は、グラスを置き、その隣の、数日前から置きっ放しになっていたようなグラスを手にとった。そして、入っていた少量の白ワインをパキラの苗の中に捨てると、ボトルから新しくワインを注いで、私のほうに向けた。

「モデルが過労で倒れた、とか言っていたけど、どうなのかしらね。若い女の言うことは全部うそに聞こえるわ!」
 私はなんて答えていいのか分からず、手渡されたグラスに白く残った汚れを親指で拭ってから、いただきます、と口をつけた。ワインは意外にもキリッと冷えていて、とても美味しい。

「中山さぁ、うちに住み込みでシッターやらない?」

 私が驚いて視線を上げると、三咲は切れ長の瞳でまっすぐと私を見ている。
「…え、住み込みで、毎日、ですか?」
「そう」
 三咲は怖いくらいまっすぐと私の目を見つめていて、私は金縛りに合ったかのように、その視線から逃げられなくなった。三咲が続ける。
「だって中山、独立してから大した仕事してないじゃん。別に、趣味でやればいいじゃん、写真。うちなら、それなりの給料払うし」

 不意打ちの屈辱に、私はワインの冷たさが残った舌の奥で、歯をグッとかみ締めた。

 バリで、師匠は言ってくれたじゃない。私は、いいカメラマンになる、と。この1年の私の動きで、それは間違いだったと思ったのだろうか。いつ、そう思ったのだろうか。私なりに頑張ってきたつもりだ。ライフスタイル誌の旅行企画での、京都や沖縄、箱根、北海道の街の風景や、レストランの外観、内装、そして食事の写真。ファッションサイトでの、街を歩くオシャレな子たちのストリートスナップや、情報誌での、俳優やアーティストたちの人物写真。三咲から見れば確かに、大した仕事、ではないだろう。だけど私は、与えられた仕事をひとつずつ、丁寧に、精一杯こなしてきたつもりだ。ひどい。

「それは、お断りします」
 私は、はいてきたデニムのミニスカートの黄色いスティッチがほつれている一点を、見つめながら、ハッキリと言ってやった。
「なんでっ?」
 三咲は、信じられない、とでも言うように言い放った。私はほつれている部分を爪で引っかき、指で黄色い糸をブチッと切った。
「一応、私、カメラマンでやっていきたいと思っているので」
「…一応、かよ」
 三咲はそう言って小さく鼻で笑った。
「里中の情熱を、あんたからは微塵も感じないけどね。同じ弟子でも、いろいろだわな」

「そんなの、人それぞれやり方が…」
 小さく震える声で話し始めた私を、三咲は、シッと言って止めた。部屋の中から、子供の泣き声が微かに聞こえてくる。三咲は立ち上がり、足元のヒーターをオフにしてから、淡い緑色のカーテンの向こうへ戻っていった。

 泣けそうで泣けない不安定な胸に残りのワインを流し込んでから、私は遠くを見つめた。ここからは、空が近い。灰色の雲の中にいるような、そんな気分になる。あぁ、唇がヒリヒリする。皮のめくれているところにワインがしみたんだ。私はポケットからリップクリームを取りだした。

<続く>

六本木、金曜日、雨の深夜。ウェイトレス、キャバクラ嬢、ラジオDJ、OL、ダンサー、ネイリスト。同じ日、同じ街で6人の女は、夢に、恋に、仕事につまずいていく。それぞれの女性たちが抱く、他人に見せたくない苦しみを描いた連作短編集。


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