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空とシュウ
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前回までのあらすじ

 くまさんとの打ち合わせ、彼から「部署を移動することとなった」と告げられたのあ。一緒に仕事ができなくなるとわかった瞬間、わきだし、こらえきれなくなった気持ちを、くまさんに伝えた。ふたりの気持ちは通じ合い…。

第10章 age25 恵みの雨と土の香り(5)― くまさんと一緒に聞く雨の音は… ―

 外でカチャッと鍵を取り出す音が聞こえたので、私は内側から鍵を外してドアを押し開けた。

「お、ビックリした。ただいま」
 数か月前に私が渡した合鍵を手に持ったまま、くまさんが玄関に入って靴を脱ぐ。
「おかえり。今日、雪降った?」
 私はそう聞きながらくまさんに背を向けて、今日一日中向かい合っていたパソコンへと戻った。先週撮影したミュージシャンの写真のレタッチ作業に、思ったより時間がかかっているのだ。中年太りしたロック歌手のフェイスラインをもう少しシャープにしてくれ、と頼まれてそうしたら、今度はシャープすぎるという事務所のNGがでた。だったら、自力で程よく痩せてくれよ、と思う。
「あぁ、少し降ったけど、すぐに雨になっちゃったよ。今はもう、やんでるよ。何、今日はずっと缶詰だった? 」
 椅子の背もたれ越しに、くまさんが後ろから私をそっと抱きしめた。私の好きな香りがふわっと鼻をかする。土に似た、くまさんの匂い。
「うん。でも、もう終わる」
 私は振り返ってくまさんの首に両腕を回しながら、そう答えた。くまさんの頬が、とても冷たい。梅雨明けが遅れ、夏が長引き、10月までは暑いくらいだったのだけど、12月に入ってから、本格的に寒くなってきた。例年よりも、今年の冬は冷えるらしい。といっても、あと数週間で今年も終わるのだが。

 チュッと私の頬に軽く口づけてから、くまさんはベッドルームに歩いていった。週に2、3回のペースで、くまさんは私の部屋に泊まりにくるので、彼の部屋着も下着もくつ下も、すべて私のクローゼットの中に収納されている。私が仕事で帰りが遅いときは、先にうちに来て待っていてくれることもある。たまにはうちにも来てよ、と、くまさんは言うけれど、彼の部屋に行くには2回も電車を乗り継がなければならないので、少し面倒くさい。彼はいつもタクシーを使うので、その手間に気づいていないのかもしれない。そして結局毎回、彼がうちに来てくれることになる。

 シュウは、うちにきたとき、電車の乗り換えを面倒だと感じたかな。ふと、考えてしまう。シュウと最後に会ってから、もうすぐ、1年が経つ。くまさんと付き合うようになってから私からも連絡していないけれど、シュウからもメールひとつない。彼女が、できたのかもしれない、と私は思っている。
「のあ? ショック?」
 隣の部屋から聞こえてきたくまさんの声に我に返り、焦った私は、今思っていたことを声に出していなかったことを確認するように口に手を当てた。そして仕事に集中していた振りをして、不必要にデータを上書き保存してから、「あ、ごめん。何?」と聞きなおした。
「三咲さんと里中さん、離婚したって」
「うそ」
 私はとっさに視線を、ロック歌手から部屋着に着替えたくまさんに移した。
「本当だよ。それも、3月に離婚していたらしいんだ。最近になってマスコミが嗅ぎつけたみたいで、今日、下のほうにだけど、YAHOOニュースのトピックにあがっていたんだよ。やっぱり、のあも知らなかったんだ。ってことは、隠していたんだろうなぁ」
 くまさんの声が、私の意識の中で遠のいていった。3月。私とくまさんが付き合いはじめた頃…。そうだ、私が光君のベビーシッターを辞めた月。カメラマンを辞めて住み込みでベビーシッターをして欲しいと私に頼んだとき、三咲は既に離婚を決めていたのだ。あの時、怖いくらいにまっすぐ私を見つめていた彼女の目を思い出した。疲労とストレスで鋭くなった、意地悪い目つき。あれはきっと、寂しかったんだ。

「くまさんゴメン、ちょっと私、行ってくる!」
「え、今から?」
 私はリビングに来たくまさんと入れ替わるようにしてベッドルームへ行き、スエットを脱ぎデニムを履いて、パーカの上からコートを羽織った。そして小走りにデスクに戻り、鍵と携帯、財布をポケット入れて、玄関に直行した。すっぴん隠しのサングラスをつかんで、もう片方の手でドアを押し開けた。
「気をつけてね。いやぁ、男と女は、分からないもんだよなぁ」
 くまさんのほうを振り返ると、いつものカーキ色のトレーナーの上に、いつもの彼の優しい笑顔。
「慰めてあげておいで」
「うん。ありがとう、ごめんね。先寝てて」
 ドアが閉まるのも待たずに、私はエレベーターのボタンを押しに走った。
カチャッ。
 部屋の中からくまさんが鍵をかけた音が、冬の空気の中に小さく響いた。何故か、その音は私に、小さな罪悪感を抱かせた。

 駅まで歩く途中、私は何度も三咲に電話をかけた。すぐに留守電に繋がってしまう。まだ22時過ぎだ。仕事中かもしれない。
 三咲に電話をするのも、3月以来だけど、そんなことに気まずさを感じる余裕はなかった。私生活についていつもあっけらかんと話す三咲が、今回の離婚については公にしなかったのだ。きっと、深く傷ついたのだと思う。そしてその傷が公になってしまった今、深い悲しみに暮れているかもしれない。強く振舞っている人こそもろいのだと、私は舞が死んだ時に悟ったのだ。自分は弱い人間だと自称している私こそ、本当は図太いのかもしれない、と。駅についた頃には、携帯を持っていた指が感覚を失っていた。今夜は、ひどく冷える。

 23時をまわる頃、三咲のマンションの前に着いた。電話は相変わらず繋がらない。建て物を見上げて、38階にある部屋の明かりを確認するのは不可能だ。ふとこぼれたため息は、暗闇の中に白い丸をつくった。タバコ、吸いたいかも。コートのポケットの中に入れた両手をごそごぞやったが、持ってきていなかった。また、ため息が白い丸になった。
 近くのコンビニまで歩こうと、エントランスゲートに背を向けたとき、ポケットの中で携帯が鳴った。
「師匠!」
「なによ、あんた。どしたの? しつこいわね」

<続く>

六本木、金曜日、雨の深夜。ウェイトレス、キャバクラ嬢、ラジオDJ、OL、ダンサー、ネイリスト。同じ日、同じ街で6人の女は、夢に、恋に、仕事につまずいていく。それぞれの女性たちが抱く、他人に見せたくない苦しみを描いた連作短編集。


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